ネオフィリアの功罪
ネオフィリアとは、
「新しいものを好む傾向」「新しもの好き」ということである。
「もっと新しいものを!」
「今までと違うものを!」
より新しいものを求めるその情熱が、
これまで人類の文明を牽引してきた。
ネオフィリアなくしては、科学、芸術、
人類が誇りにできるさまざまな発展はなかったに違いない。
これは、ネオフィリアの「功」の部分である。
一方で、ネオフィリアには「罪」もある。
「飽きる」ということである。
長い間欲しくて仕方がなかったものをやっと手に入れても、
手に入った途端、
「馬車からカボチャ」ほどではないにしても、
一気に情熱が失せることはよくある。
「飽きる」ということに関しては、私達は、
下向きのエスカレータに、上を向いて乗っているようなものなのだ。
しかし、茂木さんによれば、
「飽きる」という変化は、受け身な人だけに見られる現象だそうだ。
外から、刺激が降ってくるのを、ただ待っている人たちだけに。
自分から求め、掘り進んでいく、
つまり、下向きのエスカレータに上を向いて乗っていても、
自分で足を動かそうという人たちには、
決して「飽きる」ということはない。
決して飽きることなどあり得ない数知れない「不思議」が、
神によって、
世界中に、宇宙中に、ばら撒いてある。
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