読んでよかった本・記事

「日本人の知らない日本語」蛇蔵&海野凪子

Photo
姉がわざわざ送ってきてくれたコミックエッセイ。
メディアファクトリーにまたやられた!って感じ。

母国語(=日本語)の知らなかったことがいっぱい載っていて、
あっちこっちで笑え、
「なーるほどねー」と思い、
こーんなに純粋で頭がよく、
勉強熱心な外国の人たちが、
日本に興味を持ってか、
仕事でやむを得ずか、
動機はともかく、
一生懸命に日本語を学ぼうとしていることに感動した。

なぎこ先生の献身ぶりにも脱帽。
我らネイティブもぼやぼやしてられないぞ!

今すぐ笑いたい方にオススメ♪

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「単純な脳、複雑な『私』」池谷裕二(2)

脳の活動と我々の行動の関係が語られて、
次のことへ到達する。

僕らにある「自由」は、自由意志ではなく自由否定だ

手足を動かしたり、いろいろな行動を起こす、
それは自分の自由意思でやっているようで、
実は環境や脳の状態(「ゆらぎ」)に作用されている。

だから、我々に残された自由とは、
「『××しない』という自由」なのだそうだ。(自由否定)

子どもは自由否定がヘタだよね。だって、友達のことを強く殴っちゃったりするでしょ。
でも、大人になってくると、行動の衝動を「否定」できるようになる。
いやいや、ここで殴っちゃいけない…と止まるわけだ。

あるいは、子どもは口も悪いよね。
つい、「おじちゃんハゲてるね」とか、「おばちゃんデブだね」とか言っちゃう(笑)。
大人になるとそれをぐっと抑える。
自由否定がうまくなる。
大人でも、ハゲてる人を見たら、「あ、ハゲてる」って思うよね。
いや、思っちゃうよね。そこに自由はない。
でも、口に出すのはやめておく。それが大人の態度。つまり、人間的に成長するというのは、
自由否定が上達することと絡んでくる。(本文から)

な・る・ほ・ど!

イケナイことを思い巡らせてしまうことは、
咄嗟のことで止められない。
でも、それを否定できるかどうかが、肝心ということらしい。

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「単純な脳、複雑な『私』」池谷裕二(1)

だからといって、実生活で役に立つわけではないけど、めっぽう面白い!
「『正しい』は『好き』の言い換えに過ぎない」
とか。

「意識よりも無意識の領域の方が、広大である」
とか、

「あとから思い返すと、『なんでまたあんな人を』という相手に恋なぞするのは、心を盲目にして子孫を残すためである」
とか、

「身体は(意識よりも)真実を知っている」
とか。

まだ、3分の1しか読んでないけど、
実は高校生向けで(笑)読みやすいし、こりゃあ、面白い!

(実家のPCが壊れているので、自宅に戻るまでしばらくお休みします)

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若田さん

若田さんが4ヶ月半にわたる宇宙の生活を終えて、
無事地球に帰還した。

夜中のテレビで、エンデバーがパラシュートを開いたとき、
ぐっときた。

「宇宙からの帰還」(立花隆)は私が若い頃、
非常に影響を受けて繰り返し繰り返し読んだ本のひとつだが、
この本が書かれたアポロの時代、
科学バカに近かった複数の宇宙飛行士が、
宇宙から見る地球のあまりの美しさ、
真っ暗(まっくろともいう)な宇宙に浮かぶ青い地球の圧倒的な存在感に、
”神の領域”を感じ、
地球への帰還後、聖職者になった。

あの頃の宇宙飛行士達に比べたら、
若田さんはなんて親しみやすく、情緒豊かで、
宇宙を身近に感じさせてくれるんだろう。

小さい頃、自分が大人になるころには、
誰でも宇宙旅行できるようになっている、
などと信じていた。
それはまだまだ遠い未来のようだけど、
そういう点で、宇宙は身近になったと感じる。

いつも前向きで明るく、
激務をこなしても笑顔で語る若田さんを、
奥さんのシュテファニーさんや息子君も、
それはそれは自慢だろう。
でも、ほとんど家にいないだろうし、
わざわざ体ごと実験台になったりして、
体を壊すかも知れない、
いつも極度の危険にさらされて、
家族としては、胸かきむしられる思いだろう。

でも、立派な人ほど、
家族だけのひとりではない、
若田さんはもはや、日本人全員の、
地球人全員の若田さんなのだと思う。

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「会社に人生を預けるな」勝間和代(完)

■家庭教育の重要性

生きていくのは選択の連続である。
どんな学校へ行くのか、どこに就職するのか、
稼いだお金を何に使うのか、
時に、(経済力のない人は)どんな相手と結婚するのか。

その中で、自分のキャパに合わない誤った選択をすれば、
「不要な」苦労をしょいこんで、
一生足かせになることは充分にありうる。

そのとき、判断基準となるのが家庭教育で、
子は親を見て、また、親に繰り返し刷り込まれることで、
どのくらいのリスクを取れば、
どの程度のリターンがあるか、
自分がどこまでリスクを負えるかを肌で覚えるそうだ。
確かに、犬や猫の親でも、食べてはいけないものや、
逆にお腹を壊したとき食べるべき草などを教える。

■リスクを取り慣れていない日本人

また、日本は安全な国だといわれるが、
実は、「リスクを取り慣れていない」ということでもある。

領土を取ったり取られたり、
常に危険にさらされて来た他国の人々に比べ、
これまで長年にわたって、そこそこ「お上」に守られてきた
=自分で判断することを止めてしまっていたがために、
自分で自分の身を守る手法を身につけていないらしい。

「自己責任」の本当の意味について、
日本人は考え直す必要がある。

■おわりに

本書に書かれていることは、おおむね納得できる。
でも、勝者の弁という感じもする。

終身雇用制度が崩壊しつつあるといっても、
それを根底から覆すのは簡単なことではない。

もし、各企業が優秀な人材ばかりを集めようと、
首切りを簡単に実行できるようになれば、
そこからはじき出された人たちは行き場がなくなり、
格差はますます広がるだろう。

これまでの日本企業は、だめだめ社員の存在を知りつつも、
「助け合いの精神」で容認してきたのかも知れない。

聖徳太子が「憲法十七条」の中で、
「和をもって尊しとなす」と定めた昔から、
我が国には「和」の精神が第一であった。

ともかく、
金融資本主義がもろさを露呈した今、
新しい社会モデルが必要なのかも知れない。

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「会社に人生を預けるな」勝間和代(1)

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■日本企業のジレンマ

今の日本企業がリストラを進める上で社員に手をつけるには、
「業績がいちじるしく悪い」
「新規採用を行っていない」
「整理解雇する前に、配置換え等いろいろ手を尽くした」等々の、
重い足かせがあるそうだ。

つまり、「業績がそこそこ」で、
「新入社員や中途要員を採用」したりしていれば、
例え会社が「いらない」と判断する人材が居たとしても、
切ることは絶対にできないらしい。

自社にそぐわない人たちの面倒も手厚くみなければならないという、
その終身雇用制度死守の仕組みが、
各企業を疲弊させているそうだ。

でもだんだんと、
それでは社会全体が持たなくなってきている。

フリーターやニートの増大が国会で取り上げられるのは、
同情心などではもちろんなくて、
非正規社員が増えることで一人当たりの生産力が下がり、
国民全体の貯蓄額が減って、
ひいては「国力」に影響するからである。

確かに、寿命はどんどん延びるのに、
30代前半までで社会的地位のほとんどが決まってしまい、
それ以降、どうあがいても敗者復活できない社会ってどうなんだろ。

(つづく)

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「小泉官邸秘録」飯島勲(完)

昔、仕事で、とある郵便局の小包局に行ったことがある。

小包局というのは文字通り、小包ばかり取り扱っているところだが、
だだっぴろい埋立地のひろーい敷地内に、
ムダに大きい建物が建っていて、
その中を、迷ったのか、ただ会議室が遠かったからか、
端から端まで歩いたら、
学校みたいな殺風景な部屋がいくつもいくつも並んでいた。

何に使われているのかわからない、だーれもいない部屋が、
廊下に沿って延々続いている。
次の部屋も、その次の部屋も、空(から)なのである。
電灯こそ消してあるが、部屋そのものがムダなのである。

そのうちのひとつの、かろうじてロッカーが並んでいる部屋で、
長椅子に誰かの膝が見えていた。
サボってるんだろうと思った。

これだけの敷地、これだけの工費があれば、
いろんなことができるのになぁ、
お役所のムダってこういうことかぁ~と思った。

他国では、公務員で一番多いのは軍人だそうだ。
対して、日本の公務員で一番多いのは、郵便局員だったそうだ。
そんな国はほかにないらしい。

私は郵便が好きだから、
郵便屋さんの姿を見るとわくわくするけど、
配達員さんはともかく、
そこに人・カネのムダが巣食っていたことを知ると、
郵政民営化ってすごいことだったのだなぁと思う。

最近、かんぽの宿売却問題やらで、やや逆行しそうになっていることに、
国民はもっと敏感になる必要がある。

この本を読んでつくづく、一国の総理に求められるのは、
「ぶれない」ということらしい。
各分野の専門的な知識なんかより、
「ビジョン」のほかに、「強い信念」と「人格」こそが問われる。

総理大臣というのは、全人格がまる出しになる職務である。

強い信念を持ちつつ突き進みたくても、
人格者でなければ誰もついてこないし、
人格者であっても、「ぶれない」姿勢がなければ、
あちこちに気を遣うだけで疲れ果て、
一国を引っ張っていくことはとてもできない。

その両方を持つことは、本当に難しい。

(おわり)

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「小泉官邸秘録」飯島勲(2)

小泉元総理の「戦略」を、
ひとつのエピソードからも垣間見ることができる。

サウジアラビアのアブドゥラ皇太子(現国王)と会談したとき、
事前の打ち合わせで事務方から、次のようなレクチャーがあったそうだ。

「サウジアラビアは日本の主要な原油輸入国です。
総理からは、『今後も原油の供給をよろしくお願いしたい』といっていただければと思います。
その後、晩餐会となります」

ところが実際の会談に入ると小泉さんは、事務方の指示などそっちのけにして、
小泉流にやり通したらしい。

実際の会談の場での小泉総理は、
「日本では『脱石油』を進めています。風力発電や風力の活用について技術開発が進行中です」と新エネルギーについての説明を始めた。

皇太子がその話を興味深く聞き、うなずいたのを見つつ、総理はさらに、

「地熱、太陽光の技術については、かなり進んできています。
太陽光はこの国でも重要なエネルギー資源となるでしょう」

皇太子としては、これまでの日本からの訪問客の発言との違いに戸惑ったのだろう。
総理はなおも、

「日本は雨が豊富に降りますのでバイオマス資源も豊富です。
とうもろこしやおコメからエタノールのような燃料を作ったりする技術開発も進めています」

皇太子がたまりかねて、「我が国も石油という資源があり、この資源を日本をはじめとする各国に対して、
一定の条件で提供する用意はあります」と言うと、総理はさらに、
「我が国の技術は貴国の食料生産や将来のエネルギー対策に役立つと考えています。
我が国は、自然の恵みを活用して環境と経済が両立する社会を構築していきたいと考えています」

とうとう皇太子の方から原油の話を持ち出した。
「小泉首相。日本の考えはよく分かりました。しかし、当面は石油も必要でしょう。
我が国は日本に対して我が国の石油を安定的に供給できるように努力したいと考えています。
それでは、晩餐会に行きましょう」

物欲しげに石油の安定供給を頼むことだけを考えていた事務方は、
会談の進み方に目を丸くした。(第二部 有言実行より)

あっぱれ、小泉さん!

資源を持つ国も、持たない国も、
文明が進んでいる国も、発展途上にある国も、
政治においては、対等であることが望ましい。

(つづく)

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「小泉官邸秘録」飯島勲(1)

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他国に比べて首相が長続きしないわが国にあって、
歴代5位の在任期間を保った小泉内閣の舞台裏報告。

最近では安倍さん、福田さんが相次いで投げ出したことからもわかるように、
総理大臣は激務である。
もともと分刻みのスケジュールぎゅうぎゅうなのに、
難問奇問が同時多発的に発生し、
そこへ、野党はもちろん、与党の中からも横槍が入り、
さらに、海外発のあっと驚く事件が起こっても、
停滞することなく、巨船の舵取りをしなければならない。

風向きは刻々と変わり、潮流もじっとしていない中で、
優秀な人材を駆使して、
とにかく進まなければならないのだ。

その様子が、主な出来事(郵政民営化、ハンセン病訴訟、BSE問題、9・11テロ、平壌宣言等々)ごとに、
発端から収束まで、セリフを交えて、まるで小説みたいに語られる。
世間がざわついたり、大臣達が動揺する要所要所で、
小泉元首相の強いリーダーシップが発揮されたらしい。
(ちょっと小泉礼賛に偏っているけど)

「なるほど、あの時、実はそういうことがあったのかぁ、
新聞やテレビで報道されていることは、
氷山の一角なのだなぁ」と痛感する。

筆者の飯島勲氏は、小泉純一郎氏初当選以来の秘書であるが、
政治家でありながら、大変なストーリーテラーで、
特に、田中真紀子外相更迭劇のくだりなどは、
サスペンス小説さながらの臨場感である。

歴史ドラマを見て、遠い昔に世を去った人々とシンクロするのもいいけど、
現役の人たちのちょっと前の歴史を、こうしてなぞるのも面白い。

(つづく)

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「ムーミン展」

Moomin

ムーミンシリーズを「童話」と呼ぶことに、
私は断固反対する。
ムーミンの話は断じて子供向けではない。

特に、「ムーミン谷の仲間たち」には、
生きていくうえで肝心なことが、
随所に盛り込んである。(と思う)

例えばスナフキンに名前をつけてもらった一匹の虫。
小さなその虫は目を輝かせて、
「ぼく、名前がなかったこれまでの分も、
急いで生きなくちゃいけないんです」
という。

「名前がある」というそれだけで、
俄然、「自分」というものの特別性を自覚し、
パーソナリティが際立ってくる虫っころ。

「この世の終わりにおびえるフィリフヨンカ」では、
途中、主人公のフィリフヨンカのおどおどした態度に、
あーもう、イライラさせられるけれども、
最後は胸がスカッとする。
昨日までのうじうじした自分にオサラバしたい人にもってこいなのだ。

「静かなのが好きなヘムレンさん」もいい。

他人と関わるのが苦手で、
偏屈者のヘムレンさんを見守る親戚たち。
天変地異で家財道具の一切を失っても、
それを「すばらしい冗談」ととらえて、
私も、挿絵の彼らみたいに笑い転げたい。

「ムーミン展」に行った。

期待していた以上の多数のイラストが、
ずらーっと展示されていて大満足だった。
大人も子供もおばあさんも、
彼女の小さな作品に鼻をくっつけるように見入っていた。
はがき半分ほどの小さなインク画の中に無限の宇宙が広がっている。

トーベ・ヤンソンは奥が深いなぁと、つくづく思う。

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「デジタルネイティブ」三村忠史・倉又俊夫(完)

「デジタルネイティブは、この世の中を、
現実世界と仮想世界というようには分けていません。
彼らはこのふたつの世界を世の中だと思っています。
(略)彼らが経済活動の主導権を握るであろうこの十数年の間に、
社会は本質的な変化を体験するでしょう」(本文から)

誤解のないように書いておくと、
デジタルネイティブ達は、パソコンおたくとは違うのだ。
現実を離れて引きこもり、
ネット上の関係性だけの中で生きているのではなく、
生身(なまみ)の人間と普通につきあい、
結婚もし、子供も育てている。

両方が彼らの日常の世界なのだ。

そして、ここからが大切なのだが、
彼らの、
「相手の肩書きや評判に左右されず、
『何を成し遂げたか』だけを考慮する」という姿勢が、
年齢や国籍、肌の色をやすやすと超えようとしている、というのだ。

彼らは世界中に広がったネットワークを利用して、
いまや国連をもしのぐコミュニティを構築しようとしている。
瞬時につながることができるインターネットを駆使して世界中の英知を集めれば、
できないことはないと信じている。
そしてその参加者が、大学教授や学者といった特別な人たちではなくて、
ごく一般的な若者であること、
つまりこの大河がボトムアップの流れであることが重要なのだ。
実際に、アフリカの貧しい国々でも、ネットを利用した教育によって、
多くの子供が羽ばたいているらしい。

シエラレオネの内戦で両親を失い、
自身も少年兵であったが、逃走後、ネットの恩恵を受けて勉強し、
教育資金を得て、
今、アメリカで国際弁護士を目指すシドベイ君の言葉を紹介する。

「インターネットがなければ、
シエラレオネ以外の世界を知ることは難しかったでしょう。
インターネットがなければ、僕の人生は変わらなかったでしょうし、
自分の可能性を知ることもなかったと思います。
ひょっとしたら、ギャングの一員になったり、
刑務所に行ったりしていたかも知れません。
インターネットが僕の世界を変えたのです」

そうか、そこだったのか!

人類が長年埋められなかった南北問題の溝を、
彼らデジタルネイティブが、
やすやすと埋めていくのかも知れない。

現実とネット社会に均等に足を乗せることの弊害は、
これから表れてくるのかも知れない。
また、日本では美徳とされてきた「目の上の人をうやまう」という姿勢は、
彼らの中にはないのかも知れない。
それでも、とにかく彼らの進出によって社会は激変するのだから、
すでに企業は対応策を打ち出し始めている。

(おわり)

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「デジタルネイティブ」三村忠史・倉又俊夫(1)

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インターネットは便利だ。
ちょっと疑問が沸いたとき、
チャカチャカ♪とキーボードを叩けば、
どこの誰とも知らない大勢の人がアップしてくれた、
膨大な量の解説がずらーっと現れる。

私が支払っているのは、通信料金のみであって、
これらの情報の取得には、一銭も支出していない。
解説の中身は玉石混交だとしても、
これだけの膨大な情報が、実質タダなのである。

そして、インターネットは楽しい。
でも、私のネット利用は大阪湾か、せいぜい瀬戸内海で、
ちゃぷちゃぷしている程度だろう。

それに比べて、世界にまたがるインターネットの大海を、
悠々と渡っていく人たちがいる。

デジタルネイティブである。

本書は、昨年11月にNHKで放映された番組を書籍化したもので、
デジタルネイティブを、
「1980年近辺以降生まれで、生まれたときからネットに親しみ、
ゆえに、インターネットの世界と現実を区別せず、
情報は無料ととらえ、相手の地位や年齢、
所属にはこだわらない性質を持つ人たち」と定義している。

彼らの特徴はまた、「ネット上の人々を違和感なく信頼する」ことにも表れる。

顔を含めたプロフィールが見えない分だけ、
ネット上の人たちは悪意に満ちているのではないかとびびりがちだが、
彼らにいわせれば、
「ヘンな人たちの割合は、ネット世界でも現実世界でも同じ」なのだという。

とあるプロのデザイナーが、インターネットで仕事の依頼を受け、
一点のデザインに対して100通以上の改善のやりとりを交わしたあと、
依頼主が14歳の少年であることがわかって愕然とした例が載っている。

依頼主の正体を知って、子供に指図されることに違和感を持っていたそのデザイナーだが、
仕事を進めるうちに、
指示は的確だし、メールの内容が失礼であるわけでもない、
デザイン料もきちんと払ってくれるし、
年齢による偏見が、無意味だと思うようになったという。

仕事さえできれば、相手の地位や年齢、所属は関係ない、といういい例だ。

「2018年には、今の小学生が社会に進出しはじめ、デジタルネイティブたちがあふれる環境になります。
すると、現在のような特定のリーダーシップはなくなるでしょう。
中央集権的な構造は崩れ、流動的な組織が求められます。
それがデジタルネイティブの働き方なのです」(本文から)

本書に書かれた流れが本当ならば、
英語とインターネットができない人は世界に相手にされなくなる傾向が、
ますます強まるというわけだ。
他のみんなが世界を大航海する一方で、
大阪湾(東京湾?)でちゃぷちゃぷするだけになってしまう。

(つづく)

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「小林・益川理論の証明」立花隆(完)

「CPの破れがあったからこそ、
我々の世界は生まれることができたのだし、
CPの破れがこの程度だから、世界は今かくあるのである」
(本文から)

2000年7月、宇宙の対称性の破れを証明する研究が、
何年もにわたる膨大な試行錯誤の末に、
佳境を迎えようとしていた。

しかし、こういった場合、
ブラインド・アナリシスといって、
最後の最後まで、最終結果を見ないようにして作業を進める手法を使うそうだ。

コンピュータが刻々とはじき出すデータを、
終了の少し前までは常時監視するのだが、
最後のところはコンピュータに任せて見ないようにし、
最終結果を得てから、淡々と評価する。

ブラインド・アナリシスを行う理由は、
「データの解釈に自分の感情を入れてしまいがちだから」、
ということだ。

人間の感情まで織り込み済みなのだ。

今回、小林・益川両氏の受賞の知らせを受けて、
研究所の全員が「よく覚えていないくらい」興奮されたという。
頭脳明晰で、時に冷徹とも思われる科学者が、
とても「熱い」人々であることがよくわかる。

科学に心惹かれるのは、答えがひとつしかなく、
しかもその答えが、善でも悪でもないことだ。

人の感情には、絶対善も絶対悪もない。
一見悪と見えることにも、むりもない背景があったりする。
その「灰色さ」に時々うんざりする。

そういう時、科学の世界が我々に見せるハッキリした事実には、
ほっとさせられる。

この本を読んで、世界には、
このような静かな、しかし熱い戦いがあるのだとわかって、
とても興味深かった。

(おわり)

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白洲夫妻に見るサラブレッドの真髄

白洲次郎・正子夫妻に「はまった」のは、数年前だ。
知れば知るほど、
いやもう、おふたりのハンパなさに驚いた。

お二人に関する書物は山ほど出ているので詳細は省くとして、
次郎氏は1902年神戸生まれ、
1920年代の日本から名門ケンブリッジに留学し、
流暢な英語を身につけ、
外国車を乗り回して、レースにも何度も参戦したという、
ひとくちにいってサラブレッドなのである。

若くして大会社の役員を勤めたのち、
戦後は吉田茂首相の懐刀として辣腕をふるい、
GHQ占領下の日本で、
「日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない」とひとり気炎を吐き、
マッカーサーを叱り付け、
「従順ならざる唯一の日本人」といわれた。

カッコいいのである。

そのくせ、家庭では夫人絶対主義で、
仕事を終えて帰宅したとき、
夫人が「煙突がつまっています」といえば、
さっさと作業着に着替えて煙突掃除をするとか、
さらに、遺言は「葬式無用、戒名不要」の二行だけであったとか、
日本人離れしたルックスだけでなく、
まあ、そのカッコよさを数え上げたらキリがない。

ただ正子夫人にいわせると、ちょっと違う。

次郎氏は、早くから日本が戦争に負けること、
そうなれば食糧難に陥ること、などを見越して田舎に引きこみ、
百姓を始めたことになっているけど、
夫人にいわせれば、
「あの人はただ怖がりだっただけ」というのだ。

正子さんも由緒正しき伯爵令嬢、
戦前の日本にして、こちらはアメリカに留学し、
皇室のやんごとなき方々ともゆかりの深い、
これまた純血種なのである。

遺言に「葬式無用 戒名不要」といわれても、
たいていの奥方なら「そうはいっても」と普通に済ませてしまうところ、
その通りしてしまうところが正子さんなのである。
東京育ちとはいえ、薩摩ハヤトの血を色濃く受け継いだ正子さんは、
もしかしたら次郎氏より男性的だったのではないか。

次郎氏に輪をかけて「でかい」のである。

そして、一介のお金持ちマダムに甘んじることなく、
自身もひとかどの文筆家となった。

サラブレッドは、こうでなくっちゃいけない。

ご先祖の偉業を笠に着て、ただヘラヘラ笑って、
お坊ちゃま同士、お嬢ちゃま同士手をつないでいないで、
一般庶民には思いもつかない大胆な発想をし、
クビになることを恐れず発言して、
それらを実際にやってのけていただきたいのだ。

そして、ホンモノのサラブレッドは謙虚だ。
乱暴者の次郎さんだって、
ゴルフ場のキャディや裏方に、心底慕われてたというではないか。

白洲次郎氏が(今さら)ドラマ化されるそうだ。

白洲次郎-日本で一番カッコイイ男(KAWADE夢ムック)
白洲正子自伝(新潮文庫)
マッカーサーを叱った男 ~白洲次郎・戦後復興への挑戦~
ドラマスペシャル「白洲次郎」


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「小林・益川理論の証明」立花隆(3)

「普通の人がこういう膨大なケーブルの束を見ると
すごいハイテクのかたまりだと思うかもしれませんが、
見る人が見ればこれはローテクのかたまりです。
ハイテクを使うならこういう複雑な回路は全部
半導体のチップに焼きこんでしまうという手があるんです。
事実、海外の素粒子実験の大勢としてはそういう方向に進んでいます。
しかし我々は、ローテクの方が絶対確実に動く、
早く安くできる、誤りが見つかったとき、あるいは改良するとき、
すぐ手直しができるという理由で、
あえてローテクを選択しました。」(本文から)

小林・益川理論を証明するための複雑で高度な設備のうち、
「エレキハット」という名前の「脳」にあたる部分について説明した一文である。

「気が遠くなるほど錯綜した状態にある、
すべてのワイヤとケーブルは、研究者たちが全部自分の手で接続した」のだそうだ。
その数、実に、十数万本以上。

私はこれを読んで、本当にうれしかった。

どんどん世の中がハイテク化され、
自覚のあるなしに関わらず、
それらの膨大な恩恵を受けているわけだけど、
なんとなく、流されている感じがする。
便利になってありがたいけど、
どこか心の片隅で、これでいいのか、という不安もある。

このハイテク礼賛の世の中にあって、
しかも、先端技術の粋を集めた設備の中で、
「ローテクの方がよい」とはっきりいえる場面があるのだ。

夫に聞くと、
グラム単位で軽量化しなければならないスペースシャトルでさえ、
基板の作成には、より小さく仕上がる表面実装ではなく、
確実性を重視して、
旧式のディップ実装技術を用いているそうだ。

見栄えが悪く図体(ずうたい)がでかくても、
時間がかかっても、
確実性を重視する場合には、
一歩一歩ニンゲンの手で、丁寧に遠回りしたほうがよいこともある。

(つづく)

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「小林・益川理論の証明」立花隆(2)

どこをとっても同じ物理法則が成り立ち、
等質である世界(対称である世界)では、
なにか物質が生まれると必ず、ペアになる反物質が生まれ、
お互いに打ち消しあって消滅してしまう。

⇒しかし、星やその他さまざまな物質が、
現に存在しているのは、
対称性が一部「破れ」ているためである。

⇒その破れが起こるためには、
それまで3つしか確認されていなかったクオークが、
6つは存在する必要がある。

*クオーク…10兆分の1センチくらいの微小粒子

以上のような小林・益川理論は、
二人がまだ京都大学の学生だった35年も前に、
思いついたことを論文にしたものらしい。

今回、この理論がノーベル物理学賞を受けたわけだが、
しかし、証明されない理論など、
紙くず同然だと立花隆氏はいう。

この理論を証明するための日本のBファクトリーの、
長い長い戦いの歴史があってこその受賞であると、
立花氏は力説する。

Bファクトリーとは、茨城県つくば市に380億円を投じて作られた、
中間子を半中間子を衝突させる「加速器」なるものが存在する、
全長3キロにも及ぶ研究施設である。

本書では、その研究手法と得られたデータの解説が延々と続くわけだが、
その辺はムズカシイのではしょる。

サイエンスの世界では、すぐれた加速器が、
一国の国力というか科学技術力の強さを最もよくあらわす
シンボルのようなものと受けとめられている。
すぐれた加速器を作るということは、
それを作るだけの経済力と、それを作るだけの技術力に加えて、
そういうものを作ろうとする強いモチベーションを持ち、
かつそれを作り運用するために必要な科学者技術者をそろえられるだけの
科学技術コミュニティを持つ国にしてはじめてできることなのである。
言葉を変えていえば、それは先進国中の先進国にしかできないことで、
具体的にはアメリカとヨーロッパ連合、ドイツ、日本にしかできないことである。
ロシアにもあることはあるが、ランクがグンと落ちる。
中国、インド、ブラジルのようないわゆる新興国にはとてもできない。
(本文より・一部略)

そしてこの研究が、
「平和主義に徹して、
純粋基礎科学だけに貢献する目的で行われたことに意義がある」と続く。

確かに、たいていの科学研究は、
自国の軍事目的で行うことを思うと、立派である。

軍事力を持たない国は、国際社会では相手にされないけれど、
他国を武力で打ちのめすためでなく、
人類共通の科学のために英知を結集したことを考えると、
私は日本人であることを誇りに思う。

(つづく)

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「小林・益川理論の証明」立花隆(1)

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スウェーデン王立科学アカデミーは7日、
2008年のノーベル物理学賞を、
米国籍で日本人の南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授(87)、
日本学術振興会の小林誠理事(64)、
京都産業大学の益川敏英教授(68)の3氏に贈ると発表した。

授賞理由は、南部氏が「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」、
小林、益川氏が「クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見」。
(2008年10月7日21時54分  読売新聞)

たいていの一般人にとっては、
「へー、よくわからないけど、ノーベル賞を受賞するくらいなんだから、すごいことなんだろう」
という程度のまま、受賞のニュースはホトボリが冷めてしまった。

しかし、本来、「すごいからノーベル賞を受賞した」のだ。

じゃ、いったい何がそれほど「すごい」のか。

ひとくちにいうと、
「エネルギー保存の法則」とか、
「質量保存の法則」「運動量保存の法則」といった、
親の代から教科書に載っていたような物理法則すべてが、

「スイマセン、ちょっと違ってました、あはっ(笑)」

となってしまうくらい、すごいことらしい。

では、受賞理由になっている「対称性の破れ」とはなんぞや?

この宇宙が対象性に支配されているということは、
宇宙が全方向に対して、等質の広がりを持っているということを意味している。
この宇宙のどこにも特別な空間はなく、
空間はすべて質的に同じということである。
質的に同じとはどういうことかといえば、
あらゆる物理法則が、同じように成り立つということである。
異質な空間はないということである。
これが、近代科学の基礎をなす考え方である。(本文から)

つまり、「対称性の破れ」とは、上記とは反対なので、
異質な空間が存在する、ということになり、
そして、その非対称性ゆえに、我々が存在しうるらしいのだ。

「我々にとって幸せなことに、宇宙は対称的にはできていない。
少なくとも原子より小さいレベルにおいては、
対称的にはできていない。
もし宇宙が対称的にできていたら、宇宙の創成とともに生まれた物質は、
物質と同時にそれと等量だけ生まれた反物質と作用しあって、
すべてが消失し、何も残らなかったにちがいない。
しかし、現実に起きたことはそうではなかった。
ほんのちょっとした対称性の破れがあったために、
生成された物質と反物質の間にほんのちょっとした量のちがいがあった。
そのため物質がほんのわずかだけ消滅しないで生き残ることができた。
いまこの世にある存在のすべては、
その宇宙創成時の対象性の破れから生まれた『生き残り物質』の子孫なのである」
(本文中に引用された「受賞理由の説明書」から)

ウーン…やっぱりすごいぢゃないか。

偶然たまたま物理法則が「破れ」ていたために、生き残った物質の生き残りの子孫(=人類)が、
こうして祖先の成り立ちを突き止めたってことだね。

映画「ターミネーター」で未来のジョン・コナーによって、
過去の地球に送り込まれた兵士が自分の父さんになっちゃうより、
時系列である分わかりやすいけど(レベル違いすぎ!)、
途方もない偶然の産物が、
さらに偶然に次ぐ偶然の進化を遂げて、
宇宙だの、脳内物質だの、ミクロだの、マクロだの、
あれこれあれこれ研究してるなんて、
いやもう、ここまでくると、物理っていうより、
ほとんど哲学的になってきましたね(笑)

(つづく)

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「よかったね」の心

甥がまだ2歳か3歳くらいのころ、
私に何かいいことがあったときに、
「よかったね、××ちゃん(私の名前)」といってくれたことがあった。

私は、それが血のつながった甥であることと関係なしに、
やっとおしゃべりできるようなったくらいのチビが、
自分でない誰かのために「よかったね」といえることに、
とてもカンドーしたのを覚えている。

知っている人でもいない人でも、
誰かにいいことがあれば「よかったね」と思う。
一方で、不幸に見舞われた人には、
ニュースの中の話であれ、
身近な知人であればなおのこと、
気の毒で、なんと声をかけたらよいかわからない。

それが普通の心の動きかと思っていたら、
一部には、
身内のような特に親しい人にでさえ、
心から「よかったね」と言えない人や、
自分を取り巻く人たちに、
重大な不幸ではないにしても、
ちょっとしたアンラッキーが降りかかればいいのに、
と念じている人がいるらしい。

そういう「よくない願望」を抱え、
抱えていることに気づいている人は、
いつもさぞ悩ましく、
自分は心根(こころね)がゆがんでいるのではないかと、
くるしいだろうと想像する。

宗教に救いを求めるしかなさそうなそういう問題を、
ほとんど科学的ともいえる明快さで淡々と解説したのが、
すでに何十年もベストセラーを続けている「7つの習慣」である。

コヴィー先生によれば、それは心根の問題などではなく
そういった人たちは潜在的に、
「幸福は、世の中に一定量しか存在しない」と考えているらしい。
(文中では”(食べ物の)パイ”と書かれている)
だから、誰かにいいことがあれば、
自分の分け前がその分減るため面白くないのだ。
同じ理論で、誰かにアンラッキーが降りかかれば、
その分、自分の分け前が増える可能性があるので、
ほくそ笑んでしまう。

そういった人たちは、それまでの人生で、
誰かと意見を戦わせることで相乗効果を得て、(Win-Winの関係)
お互いにレベルアップした成功体験がなかったか、
あっても少なすぎた可能性がある。
また、幼少時に不幸にして、
過度の競争にさらされていた可能性もある。

しかし……。

ブラボー!
そういった人たちは救われたのだ!

はっきり訂正しておくと、
「世の中に存在する幸福は一定量」ではないのだ。
心の持ちよう、選ぶ相手によっては、倍にも3倍にもなる。

幸福を他の誰かと奪い合う必要はない。幸福は無尽蔵にある。

ただそこへ至るには、オープンマインドが是が非でも必要なのだ。
裏切られて傷つくかも知れないというリスクをかけたその先に、
相乗効果は得られる。

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脳科学とスピリチュアリズム

「偶有性幸福論」江原啓之/茂木健一郎を読んだ。

科学者として、心霊現象などに懐疑的な茂木さんでさえ、
著書「生きて死ぬ私」の中で、
今の科学では説明できないなにかが、
存在する可能性はある、といっている。
最先端科学も、現代科学の「ちょっと外側」にあるだけなので、
「はるか外側」のことまでは説明できず、
今ある科学の円が徐々に広がって、
外円へ到達したその先に、思いもよらないものがある可能性はあると。

そこへ到達して解明できるまでは、
まだもう少し時間がかかると。

携帯電話やテレビ、気象衛星といった、
さまざまな恩恵を受けている現代の我々には、
例え目に見えなくても、
もはや電波の存在を否定することはできない。

それは電波の原理が解明され、
その仕組みを利用して、
実際にさまざまな便利グッズに応用されたからこそ、
目に見えなくても、うすぼんやりとでも、
「やっぱ、電波って本当にあるんだなぁ」と、
存在を信じることができるのだ。

それを、例えば江戸時代の人々に、
いきなりラジオを聞かせ、
テレビを見せたらどうだろうか。
まず間違いなく、心霊現象と思うだろう。

それと同じことで、
「現代科学のはるか外側」のものが、
江原さんには、科学的な理屈を飛び越えて、
「見えて」いるのかもしれない。

でも、見えず、原理も理解できない我々には、「あるかも知れない」と思うだけで、
心から信じることはできない。

個人的には、
目に見えるものでさえ、知らないことだらけなのに、
この上、目に見えない物も理解しなければならないとなると、
ますます大変だなぁ…と感じる。

それにしても、

「自殺を考える人はよく、
『私には生きる価値がない」というけれども、
価値があるから生きるんじゃなくて、
生き抜くことに価値があるんです」(江原さん)

いい言葉だった。
すとんと心に落ちた。


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芸事のならい

芸の習得の度合いは、たとえ流派が同じでも見定めるのは難しい。

「あんたより、あの子の方が上」とはっきりいえるのは、
同じ時期に師事した同じひとりのお師匠さんくらいだが、
そんな人はめったにいない。

そこで、次のように認識するそうだ。

 自分と「同じくらい」だと感じる人は、自分より「少し格上」、
 自分より「少し格上」と感じる人は、「はるか格上」、
 自分より「はるか格上」と思う人は、「天上の人」。

 下は見ないこと。

楽器でも、ゲートボールでも、編み物でも、アイロンがけでも、
人としてのありようでも、
数値化できないものには、いろんな場面で使えそう。

 自分と「同じくらい」だと感じる人は、自分より「少し格上」、
 自分より「少し格上」と感じる人は、「はるか格上」、
 自分より「はるか格上」と思う人は、「天上の人」。

 下は見ないこと。

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まずは一生活者として

著名な哲学者と同じくらい、お偉い大臣と同じくらい、
普通のおばちゃんは立派である。

普通のおばちゃんは、ご亭主の限られた稼ぎをやりくりして、
銀行からお金を下ろし、パートに出ながらできるだけお得情報を集め、
ポイントをせっせと貯め、
いうことを聞かない子供達をどやしつけながら、
商店街で店主と渡りあい、将来を見据えてちょっとずつ貯金をする。

おばちゃんでなくとも、
既婚、未婚、男女を問わず、いわゆる「生活者」はみんなそうである。

遅ればせながら、橋下徹氏の「まっとう勝負!」を読んだ。
「行列…」に出ていたころは、紳助の格好の餌食だったけど、
今や、大阪府知事さまである。

前から「ああいえばこういう人だ」とは思っていたが、
知事になってから、そのしぶとさに拍車がかかった。
その「ああいえばこういうセンス」はやはり、
弁護士時代に磨いたものだったらしい。

「万人は~であるからして~するべからず」

江戸時代のたて看板みたいに四角四面に書いてある法律は、
決まり通りで余白のないものと誤解していたけれど、
この本を読む限り、そうではないらしい。
条文を曲解してぐりぐり強引に持論を押し通しても、
それで検察を打ち負かし、裁判官を納得させ、被告を弁護できればよろしい。

「被告を弁護」といいながら、どっちかというと被害者寄りである。
「凶悪犯に絞首刑など生ぬるい」と叫ぶし、
法は被害者から「復讐権」を取り上げ、成り代わって成敗するものなのに、
死刑執行にゴーサイン出さない法務大臣は辞めやがれ!とうなる。

橋下氏は身入りの少ない少年犯罪やら、
後ろ盾のあまりない小さい会社の社長さんなどを依頼人としていたから、
庶民の目線という点では抜群なのだ。

読んでいて、「そうだ!そうだ!」とこぶしを上げる場面あり、
反対に、
”そうだったのか~、私もマスコミに踊らされてたなんだな”と反省する部分あり。

発言は、麻生さんと同じくらい危なっかしいけど、
彼は地方で政治家としての腕を磨いて、いつか国政に打って出ればいいと思う。

一生活者の目線で。

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持てる立場になってこそ

「総理大臣というのは日本で一番偉い人ですから、やりたいと思えば何でもできます。
どこに行きたい、何をしたい、なんでもできる。
でも、だからこそ、総理大臣になってやってはならないことがいくつもあります」
(文藝春秋2008年10月号/飯島勲氏の知人の女性)

「貧乏暇無し」という言葉がある。
「大辞泉」によると、「貧乏で生活に追われ、少しも時間のゆとりがない」ということだそうだ。
ネガティブな状況だけど、でも見方を変えれば、あくせく働いているうちは、
大それた悪事に手を染めることもない、ということかも知れない。

少し前、「アッコちゃんの時代(林真理子)」を読んであきれた。

日経平均が3万8千円をつけたバブルの遠い昔、
地位、名声、豪邸、美しい女性等々、欲しいものを次々に手に入れ
快楽の追及にお金を湯水のように使った人たち。
実話を元にしているというからオドロキだ。
持てる才能を発揮して仕事で成功し、
悪事を働いた訳ではないのだから、誰に遠慮することもないじゃないかと、
ただ欲望のままに豪遊する享楽主義集団。

でも、読んでいてうらやましくないのだ。
誰一人、立派とは思えない。
むしろ、さげすみたいくらい、あほらしい。
ねたみ・そねみ・負け惜しみのたぐいともちょっと違う。

いちばんぴったりくる感想は、
「それだけ持っていて、することといったらその程度?」
私ら一市民よりイケテないよ。

去年もそういった人たちがニュースになった。
「あなたの留学の夢かなえます」といいながら、英語がひとつもできず、
飲食費に年間3000万円も使っていた留学斡旋会社の社長さん。
会社を私物化して、誰も入れなかったという社長室に金ぴかのお茶室を作らせていたNOVAの人。
そして、才能を認められ一時代を築いた小室さんが、
「まじかよ!?」っていうお金の使い方をして、私達をがっかりさせた。

貧乏ならできることも限られる。
むしろ、持てる立場になってこそ、その人の真価が問われるんじゃないのかな。
お金持ちになって、そしてどうするのさ。
「資金はいくらでもある、さあ、どうする?」

帝王ビル・ゲイツは、“慈善事業をするために”マイクロソフトを立ち上げたそうだ。
そして有言実行し、早々とビジネスの第一線から退いて2000年、
「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を設立し、世界を驚かせた。

「清貧」という言葉がある。
「大辞泉」によると、「私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」。
ただの貧乏とは違う、お金持ちのその先にある境地らしい。

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「名著講義(内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』)」藤原正彦

「国際人になるためには必要なのは、家族愛、郷土愛、祖国愛の三つです。これがない人は、世界に行ってもまったく相手にされない。学校では人類愛の方が大事だと教えているようですが、ここが、日本人のよくわかっていないところです。

まず自分の身近にいる家族を愛し、自分が育った故郷を愛し、自分の国の文化や風土を愛すれば、人類愛は自然と生まれてきます。逆に、この三つの愛に支えられていない人類愛なんて、何の意味もない砂上の楼閣にすぎない。何かコトが起これば、ナショナリズムの奔流の中であっという間に崩れ去ります。ちょっとしたいざこざで、すぐにかっとして他国を侵略して人々をぶっ殺すような人になってしまいます。家族愛、郷土愛、祖国愛の三つをきちんと理解していれば、他の国の人々が同じ思いを持っていることもわかりますから、戦争の抑止力となるばかりか国際人として他国の人々と心を通わせることができます。そこから人類愛がはぐくまれるのです。」

いきなり「球」はあり得ないということらしい。

点(個人)から線(家族)、線から面(地域)、面から球(人類全体)へと広がった愛でなければ、危うくて仕方ないということらしい。

ううーむ。

しかし、強い家族愛ゆえに生まれてしまう憎しみもあるんじゃないのか……?

まだ考え中。

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「生きて死ぬ私」茂木健一郎★

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その本はまるで、真っ暗な夜の竹やぶで、かぐや姫の入った竹だけがぼんやり光っていたように、
おびただしい数の文庫本が並ぶ「ちくま文庫」のコーナーで、そこだけ浮き出て見えた。

どんなに文明が進んでも、時間軸だけは不可逆であることへの戸惑いや、死後の世界観、全知感に対する抵抗、人生のある時期にしかかけないものがある、といった印象など、ものごとに対する感じ方が、いちいちものすごく繊細なのである。

そして、まるで自分かと思うほど(恐れ多いが)、これまで自分が考えていたようなことがいっぱい書かれていて、なんだか感激してしまった。

中でも「母と仏壇」という章には呼吸が乱れるほど胸かきむしられたと思っていたら、やはり、ご本人もいちばん気に入っているという。

私にとっては、いつも持ち歩いていたいような一冊。

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