そういえば昔…

「ファーブル昆虫記」の思い出

小学校のとき国語の教科書に、
ファーブルのことが載っていた。

昆虫博士の、あのファーブルである。

今改めてウィキペディアなど紐解くと、
1800年代のフランスにあって、
ただの虫オタクではなく、
経済的に苦労をしながら優秀な成績で学問を続け、
生物だけでなく物理や化学の本を書いたほか、
作曲や作詞なんかもしちゃう、
多才なマルチ人間だったようである。

でも残念ながら、私が覚えているのは、
そういう、
「ジャン・アンリ・ファーブルがいかに立派だったか」
ということではない。

ファーブルの幼少時代を書いた文章の中に、

「とりわけ虫が好きだったので」

という一文があって、
今であれば、
「あー、
特に虫が好きだったんだな」とわかるけれど、
そのとき、音読させられていた最初のひとりが、

「とりわ、け虫が好きだったので」

と、勝手なところで区切って読んだので、

「鳥は毛虫が好きだったので」

という、もっともらしい文章になってしまった。

先生がそのもっともらしさに一瞬たじろぎ、
「ち、ちがうっ!次!」というと、
後ろの子が今度は、

「トリワケムシ、が好きだったので」

と、まるで、
「トリワケムシ」という虫が存在するかのように読み上げた。

そうなるともう、だーれも正解に到達できないのである。
誰ひとり、
「とりわけ」という言葉を知らなかったのだ。

あ~、
それにしても、そんなめちゃくちゃな授業じゃなく、
ファーブルの偉大さについて記憶しておくべきだなぁ、私。

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あたふたあたふた

結婚してすぐ住んだ狭~い賃貸マンションには、
ベッドを持ち込むスペースはなかったので、
毎朝毎晩、布団の上げ下ろしをしていた。

ある晩、
布団を下ろして敷いて、
空(から)になった押入れによじ登って、
暗がりで本を読んでいたら、
(なんとなく落ち着いた)
洗い物を終えた夫が、キッチンの向こうで、
ガタガタ音を立て始めた。
わずかばかりの廊下を早足ですたすた歩いたり、
トイレを出たり入ったりしている。

あまり気にしないでいたら、だいぶん経って、

「あー!
こんなとこに居たぁ!(怒)
どこに行ったのかと思って…(泣)」

夫はもうひとつの小部屋はもちろん、
トイレを3回、お風呂場を2回も探したというのだ。

あのさ、全部探したってこの狭さだよ、
どこに行ったのかって……

私、虫じゃないから!!

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秋の陽を浴びて

大学を卒業するときゼミの謝恩会があった。

某ホテルの立食会場で宴もたけなわとなり、
みんなわいわい酔っ払ったころ、
主任教授がマイクを持ち、人々の喧騒を押しのけて、

「はいはいみなさん、静かに静かに」といった。

「今から、みなさんが一回生の時書いたエッセイを返却します」

「きゃー」とか「えー」とかいう小さい悲鳴が、
あちこちで聞こえた。

そういえば、一回生の夏、
そういう宿題があったような気もするけど、
何を書いたのかすら覚えていない。
だって、
めくるめく学生生活を過ごした3年以上も前なのだ。

ひとりひとり名前を呼ばれ、
今みたいなパソコン打ちじゃない、
手書き原稿を返してもらうあいだ、
私達は「謝恩」そっちのけで、
銀のトレイに乗った色とりどりのデザートを、
全種類制覇するのに忙しかった。

主任教授が一息ついて、
「さあ、これが最後です」というのがおぼろげに聞こえた。

「いやぁ、これが一番よかった。すばらしかった。
ねこきちさん」

へ!?

私は大急ぎでデザートを飲み込み、お皿をそのへんに置いて、
表彰状でもないのにちょっと晴れがましい気持ちで、
昔々に書いたつたない宿題を受け取った。

ぱらぱら読み返すと、あー、そうだ。
庭の木のことを書いたんだった。
秋晴れの日に、甘い香りを放つ家の庭の木のことを。

今日、ゴルフレンジに行ったら、
打席のあたり一面があま~い香りに包まれていて、
振り返るとやっぱりネットの外側に、
実家の庭と同じ木がオレンジ色の小さい花をわーっと陽気に咲かせて、
秋の日差しを浴びていた。

その木とは、金木犀のことです。

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あかり

台風が来て停電のニュースなどを聞くと、
いつも思い出すことがある。

阪神淡路大震災でぜんぶの電車が不通になり、
夜、仕方なく臨時バスで三宮を通ったとき、
渋滞でちょっとずつしか進まないバスの窓からそおっと見ると、
つい先日まで友達と、家族と、ひとりで、
あっちこっちうろついていた街全体が、
死んだように真っ暗だった。

死んだように真っ暗なビルの残骸を見ながら、
夜とはこんなに暗いものだったかと思った。

でも少しずつ、少しずつ、思ったより早く、
スローモーションで野火が広がっていくように、
街は明るくなっていった。

真冬の木枯らしに耐えて、
関西電力の人たちが電信柱によじ登り、
不眠不休で文明のともしび=電気を灯していくニュースを見ながら、
まだまだ情緒不安定だった私は、
しょっちゅう涙ぐんでいた。

電気工事の人がいった。

「仕事とか、そういうことじゃないんです。
少しでも早くみなさんに明かりを」

台風が来て停電のニュースなどを聞くと、
いつも「明かり」のありがたさを思う。

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お彼岸のころ

学生の時、ちょうど今頃は夏の終わりの合宿だった。

前期試験が7月下旬だった分、
9月はまだ、まるまる夏休みだったから、
授業に穴を開ける心配はなかったけれど、
その合宿は、「これが終わったらまた学校が始まる」という、
私には後期授業への助走でもあった。

今頃の季節だから、
台風もちょくちょくやってきて、宿舎の前の河が増水した。

ある年の晩、
みんながお風呂に入ったり、食堂でおしゃべりしている間、
ひとりで外へ出て、
宿舎の前の土手で、雨が止んで月の出た、増水した川を見ていたら、
向こう岸から、
ねずみより大きくて、
うさぎより小さい物体がちゃぷちゃぷと泳いできて、
こちら岸まで泳ぎ着いたかと思うと、
声をかけるまもなく、走り去ってしまった。

合宿中はそんな風に、世間から隔離された田舎家で、
早寝早起きの修行僧みたいな生活を送っていたので、
帰路、名神高速を降りて下道(したみち)を走り、
普通の道路で、
一週間ぶりにミニスカートの女子など見かけると、
つい鼻血が出そうになった。

そして、その合宿が終わるといつも、
地元の街は、
吹き抜ける風も、
人々のファッションも、突然、秋になっていた。

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レーズンケーキ

幼稚園くらいの小さいとき、
さらに小さい男の子と一緒に、
よそんちのお宅の前で遊んでいたら、
中からおばさんが出てきて、

「ほら、どうぞ!
おばさんが焼いたケーキよ♪」

とレーズンの入ったケーキをひとかけずつくれた。

レーズン入りのスポンジケーキってわけだ。

ケーキはちょっと硬いけど、普通においしかった。

ところが、一緒だった男の子は、
まだほんの3つか4つくらいだったか、
主役のレーズンが苦手だったらしく、
スポンジに埋まっているレーズンをことごとくつまみ出して、
あろうことか、
それをくれたおばさんちの前に、
ポイポイと捨てた。

私は捨てられたレーズンを発見したときのおばさんの気持ちを考えると、
いたたまれず、子供なりに内心で冷や汗をかいたけれど、
私もまた小さかったので、どうすることもできない。

なんでまた、そんなことをいつまでも覚えているのか、
レーズンが埋まったパンやケーキを、
見たり食べたりすると今も、
あの時のあの戸惑いを思い出してしまう。

それにしても、あの子ってどこの誰だったかしら。
ぜんぜん思い出せない。

記憶っていうのは、
肝心なところが抜け落ちるととてもこわい。

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なぞの院生

大学のとき、教授に用事があって、
ゼミ仲間数人と美学研究室に行くと、
奥のほうの本棚の前で、
私達よりずっと落ち着いた感じの男子院生がいて、
こちらに背を向けて椅子に座って、
図版をパラパラ見ていた。

ゼミ仲間のひとりが小声で、

「見て!ホラあの人、××ゼミの院生で、
怖い人だよ」

その人なら今までにも、
教授の手伝いやらなんやらで、見かけたことがあった。

黒々とした髪にめがねをかけ、無精ひげを生やして、
なんとなく眉間に皺が寄っていて、
にこりともしない。

「どれ?どのひと?」

もう一人が腰をかがめて陰から覗く。

「ほら、あの人、見える?すっごく怖いらしいよ」

私達の会話はぜんぶ小声だったのに、
急に当人がぱっと振り返って、

「怖ない、いうてるやろ!!(怒)」

私達は縮み上がった。

「キャー!やっぱりこわーい(泣)」

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××外科

高校のとき、しょうもないことで怪我をして、
学校の近くの外科に通ったことがあった。

その外科はすごーく繁盛していて、
ホールみたいな広い待合室に、
50人くらいの人が、立ったり座ったりしながら待っていると、
あるときマイクで、

「田中一郎さん、鈴木花子さん、山田太郎さん、山本次郎さん……
診察室へどうぞ」

と、
10人くらいがいっぺんに、
全員に聞こえる大音量で呼ばれるのである。

呼ばれた患者がぞろぞろ診察室に入っていくと、
奥から順番に長椅子に座らされ、
そこへ待ち構えてた看護師さん達が、
ワッと群がって、一斉に、
包帯だの、ギプスだの、ガーゼだのをはがしにかかる。

外科だからである。

準備が出来た人から次の部屋に移り、
先生に診てもらって、
隣の部屋に移動すると、
今度はまた別の看護師さん達に、ワッと群がられて、
ある人は副木(そえぎ)を当てられ、
ある人はガーゼの上から絆創膏を貼られ、
ある人は湿布されたり、包帯を巻かれる。

外科だからである。

「患者が自分で動くベルトコンベアー」なのだった。

診察の次の日、学校に行くと、
同じクラスの女の子がやってきて、

「ねこきちさん、昨日、××外科にいたでしょ」といわれた。

「誰もそんなことしないのに、ねこきちさんだけ、
名前呼ばれて『ハイッ』って返事してたでしょ、大きい声で」

くっくっくとその子は笑った。

……。

名前呼ばれて返事するのは普通じゃん。

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家でやるポップコーン

昔、家でポップコーンをしたことがあった。

家でやるポップコーンというのは、
お菓子のコーナーに売っていて、
アルミで作った薄っぺらなフライパンに、
堅いまんまのとうもろこしと塩、
それにたぶんバターが入っており、
蛇腹式のフタが付いているやつである。

ガスの火でフライパンをあぶると、
中のとうもろこしが弾けると同時に、
蛇腹式のフタがだんだんだんだん立ち上がってきて、
最後には、
給食当番の帽子みたいにまで膨れあがるのである。

蒸気が出れくれば、膨れ上がったアルミのフタを破って、
あつあつのところを、
はふはふいいながらほお張る。

これが、家でやるポップコーンの正しい食べ方なのだが、
火加減がちょいと難しい。

弱火でまんべんなく底を熱さなければ、
あっというまに焦げてしまう。

その日、夫が担当していて、
プロ野球に気をとられていたわけでもないだろうけど、
ちょっと油断したすきに、それはまあ、無残なまでに、
ほとんどを焦がしてしまった。
フタも、上手に膨らまずに、
溝に落とした給食当番の帽子みたいにぺしゃんこに。

私がげらげら笑っていると、
夜遅いというのに、「ピンポーン」とチャイムが鳴る。

私はもうすっぴんだし、夫が応対に出たら、
玄関先に、同じフロアの向かいのお宅の奥さんが、
娘さんを伴って立っていて、

「あのー、そ、そのー」

眉尻を下げ、胸の前で両手をもみ絞りながら、半泣きでいったそうだ。

「なんか、すごく焦げ臭いんですけど、
火元は大丈夫でしょうか」

夫はどうしたのだろうか。

一応、正直に答えたらしい。

「い、いやぁ、実は、ポップコーンを焦がしてしまって…」

以来、ちょっとなんかを焦がしてしまったら、

「やばい!換気扇、換気扇!ほら、また××さんが飛んでくるよ!」

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サラリーマン賛歌

土曜日の各駅停車はすいていて、人影もまばらだった。

向かいの席には30代前半と見える男性が座って、
静かに本を読んでいた。

次の次の駅で、いかにも落ち着きのなさそうな、
スーツを着た若造が乗り込んできて、
30代前半と見える静かに本を読んでいる男性に、

「あ、タナカさん!久しぶりッスねえ!」と声をかけた。

「おお、久しぶりやなぁ、元気か?」

本から顔を上げて薄く微笑んだタナカさんは、
若造の先輩らしかった。

会話によれば、ふたりは元同僚で、
少し前、若造の方が、嫌気がさしてあっさり会社をやめ、
目下求職中らしい。

若造は、落ち着きのない身振り手振りからも、
自信たっぷりな口調からも、
いかにも危なっかしい希望に満ち溢れていた。

「また土曜出勤ですかぁ?相変わらずですねぇ」

若造はタナカさんのいでたちを見て、
ちょっと小ばかにしたように顔をゆがめた。

「僕ね、今からまた面接なんっすよ、
めっちゃ条件いいとこでね……」

若造が降りていくとき、タナカさんは座席から少し腰を浮かして、
意気揚々たる後姿に、
「がんばれよ!」と小さく声をかけた。

いいなぁ、タナカさん。

タナカさんはもちろん知っているのだ。
会社をあちこち何回替わろうとも、
それぞれの職場にはそれぞれの働きにくさがあり、
気の合わない人がいたり、いやな上司にあたる危険があったり、
土曜出勤しなければならない日だってあることを。
その中で、やりがいを見つけ、自分の居場所を作っていくのは、
自分自身なのだということを。

それでもタナカさんは訳知り顔に、教え諭したりしない。

危なっかしい後輩の希望に満ちた背中に、
ただ静かにエールを贈るのだ。

「がんばれよ!」と。

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懺悔(ざんげ)したい

もう二度と会えそうもない人に、懺悔したいことはいろいろとあるが、
そのうちのひとつが、
今は社会人になっているであろう、幼稚園児に対してである。

私は当時、牧場でバイトしていて、
キャリアアップのひとつとして、
ソフトクリーム巻きの修行中だった。

ソフトクリームというのは簡単なようで、
あの限られたコーンの上に、
ちょうどよい感じでクリームを積み上げていくのは、
熟練の技が必要なのである。

ひとくちにクリームといっても、
その日の気温、湿度、機械の調子などによって、
硬さや落ちて来る具合が違い、
「ウイーン♪」とペダルを踏んだら最後、
クリームはつながったまま、
待ったなしで、あとからあとから落ちてくるから、
瞬時にその日の状態を把握し、
手首のスナップを利かせて、
見事な巻きに仕上げなければならないのだ。

その日は雨が降っていてあまりお客が来ず、
落ち着いてできるから、修行にはちょうどよかった。

私はストライプ柄のエプロンをつけて、
どきどきしながら、
雨の日の寒空にソフトクリームを買おうという
物好きなお客が来るのを待っていた。

「日生のコーン」のコーン坊やを見ていたとき、
「すみませーん」といって、
傘を差した家族連れが、カウンターに現れた。

「ひとつください」

カウンター越しに、
帽子をかぶった幼稚園児が目を輝かせてこちらをじっと見あげていた。

「いっぱい入れてね~って、ほら」

祖母と思われる人が、子供に代わってそういった。

私はどっきんどっきんしながらコーンを抜き、
所定の場所で構えて呼吸を整え、重いペダルを踏んだ。

ところが、係りのお兄さんが配合を間違えたのだろうか、
それとも、最初のほうだったからだろうか、
落ちてきたクリームはやせ細ったやわい状態で、
手首の必死の動きにも関わらず「巻く」ということができず、
結局、ソフトクリームと呼ぶのもはばかられるような、
しょぼくれたシロモノができあがったのである。

幼稚園児はがっかりしたに違いない。

私は泣きたいような気持ちで、
多額の代金を受け取った。

ああ、できることなら、いまさら会って懺悔したい。

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お菓子の家

最寄の駅のそばに、お菓子の家が建っている。

壁がカスタード色、屋根がミント色で、
カスタード色の壁のところどころに、
チョコレート色のレンガが埋め込んであり、
ところどころだから、
遠くからだとはがして食べられそうにも見え、
ミント色の屋根もとんがり屋根で、
いかにもおいしそうなのである。

何年か前、親友一家がうちに泊まりに来て、
翌朝見送りがてら、一緒に電車に乗った。

3歳のD君は私の横で靴を脱いで、
電車のシートの上に立てひざをして、
窓の外を見ていたが、
お菓子の家が見えるところにさしかかった時、私が、

「ほーら、お菓子の家だよ!」

といったら、小さな手で窓枠を握り、
目を見開いてぐっと身を乗り出した。

驚いて釘付けになり、
見えなくなるまで見送っていた横顔が忘れられない。

本当は、
お菓子の家風に建てた、ほんの不動産屋の事務所なのに、
悪いことをしたと思う。

覚えてなければいいんだけど……。

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くおらぁーッ!

高校のとき放課後、友達とふたりで、
校舎3階廊下突き当りの出窓に「外向きに」腰掛けて、
足をぶらぶらしながらユーミンを歌っていたら、
廊下の反対側から、

「くおらぁーッ!」

という怒声と共に、体育の先生が竹刀(しない)を持って飛んできた。

飛び降りて逃げるには3階は高すぎたので、
おとなしく廊下の側に下りて、
制服のスカートの上から、竹刀でお尻を叩かれた。
でも、お尻というのはよくできていて、
割いた竹を束にした竹刀なんかでは、そう痛くもないのである。

また別の日に、おんなじ友達とふたりで、
きな粉アイスバーを食べながら、中庭を歩いていたら、
校舎の方から、

「くおらぁーッ!」

という怒声が飛んできた。

「お前らちょっとこっち来いっ」

体育教官室からであった。
立ち食いを叱られるのだろう。

私達は眉をハの字に下げて顔を見合わせた。
アイスはまだ食べ始めたばかりで、
8割くらい残っていたからだ。

とぼとぼと体育教官室に怒られに行くと、先生はいきなり、
「アイスどないしたんや」といった。

「捨てました」

「あほやなー、食べてから来たらええのに」

それにしても、なんでまた、
体育の先生だけ職員室とは別に、
「体育教官室」という部屋があてがわれていたのだろう。

体育教官室には不良の話も分かる先生が居て、
時に説教部屋であり、
いつ行ってもお湯がシュンシュン沸いているラウンジであり、
一種独特な空間だったなぁ。

汗くさいから他の先生とは別にされていたのだろうか。

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ぶらんこ

その日、暮れかかる校庭はどんよりした曇り空で、
私は仲良しのKちゃんと、ぶらんこに乗っていた。
小学校中学年くらいだったと思う。

ジャングルジムにも、鉄棒にも、砂場にも、誰もいなかった。

ひと気もなければ時間に追われてもいない、
いってみれば、打ち明け話をするには、もってこいの夕方だったのだ。

Kちゃんはぶらんこの鎖を握って前を向いたまま、
ふいに、つぶやくように、
「わたし、ヂなんだ」といった。

……えっ?ヂ!?

確かにそう聞こえたように思う。

しかし、当時の私はといえば、
毎夕遅くまで遊びほうけている洟たれ小僧だったから、
頭の中の辞書には、
『ヂ』というような、短いけれど、奥行きのありそうな立派な単語は、
載っていなかった。

私は、ヂがなんであるか、知らなかったのである。

ただ、それは重大な秘密であるらしい。

ヂという未知の病(やまい)
病に冒された親しい友人……。

私はだいぶん間の抜けたころに「へえぇ」とだけ答えた。

以前の職場では、右のおじさんも、左のおじさんもヂで、
穴の開いた座布団なんかを普通に敷いている人もいたから、
もういまさらヂなんて、珍しくもなんともないけど、
それにしても、
「知っている」ことは「知らない」ことより、
たいへん有益である。
少なくとも、ドギマギしなくて済む。

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蜂飼いのおじいさん

外国のある村に、
蜂を飼って生計を立てているおじいさんがいた。

ある日、神様が天上から巡回視察したとき、
おじいさんが、モノだらけの、
散らかった狭い家で、
窮屈そうに暮らしているのをみて、驚いた。

なんというみすぼらしい暮らしだろう!?

神様は、おじいさんをかわいそうに思い、
もう少し広々した家に移り住めるよう、
手はずを整えた。

神様は忙しいので、
おじいさんが新しい生活を始めるのを見届けてその場を去り、
世界のほうぼうを巡回視察することを再開したが、
何年か後、おなじ蜂飼いのおじいさん宅を見回ったとき、
せっかくの広々した家がまた、
モノだらけの、
散らかった家になっているのを見た。

住んでいる場所の広さは関係ない、
結局は住む人の心がけ次第。

…というのがこの話の主な趣旨である。

私がなぜこの話を知っているかというと、
中学や高校のとき、
ときどき私の部屋にやってきた母に、
繰り返し繰り返し聞かされたからだ。

母は、モノだらけの、
散らかった私の部屋のドアのところに立って、
特に怒る風でもなく、淡々といった。

「外国のある村に、蜂飼いのおじいさんが居て…」

母の創作だったのかも知れない。

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ビラ配り

大学のとき、部活の合宿費を稼ぎ出すために、
いろんなバイトをした。

1日限りの大手旅行代理店ビラ配りもそのひとつ。

指定された新興住宅地の駅に行くと、
駅前の旅行社に、見知らぬ学生がもう一人来ていて、
私達ふたりはその日の雇い主から、
紐の付いた紙バッグにいっぱいのツアーのビラを渡され、

「多いけどがんばってくださいね。
ぜんぶ配り終えたら戻ってきてください」

という言葉とともに、駅前に放たれた。

その日はちょうど、駅からちょっと歩いたところに、
新しいショッピングモールがオープンする日だったから、
旅行社もその人手をあてこんでの企画だったのだろう。

ところが、
私達が街頭に立ってビラを配り始めるや、
思わぬことが起こった。

主におばちゃん連れが、わっと群がってきて、

「ちょうだい!ちょうだい!私にもちょうだい!」

と、押すな押すなのすごい騒ぎになったのだ。

私達は、「号外を配る人」みたいにもみくちゃにされながら、
われ先に差し出される無数の手に、
「はいはいはいはい」と次々にビラを配った。

ずっしり重かったビラの束は、あっという間になくなった。

少なく見積もっても3時間はかかると見込まれた仕事が一瞬でおしまいになり、
「終わりました」とショップに戻ったときの、
店員さんの驚いた顔が忘れられない。

「新しいショッピングモール関係の、
『お得チケット』かなんかと、カン違いされたみたいなんです」

店員さんはあわてて倉庫をひっくり返したけど、
配るビラはもう残っていなかった。

おかげさまで、
私達のバイトは時給にして、10倍にも跳ね上がったわけだ。

だから今でも、ビラ配りの人を見ると、
売りにつながろうがつながるまいが、
配りさえすればこの人たちの仕事は終わるんだからと、
いらないビラまで、つい受け取ってしまう。

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最初のテレビ

結婚したとき、私は実家から嫁いだが、
夫はすでにひとり暮らしをしていたので、
住んでいたぼろアパートから、
使い古した家財道具を新居に持ち込んできた。

コードレス電話と掃除機、そしてテレビである。

洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、エアコンといった基本的なものは新調したし、
そもそも電化製品にほとんどこだわりがなかったにしても、
夫が使い古したぼろぼろのあの代物を、
すんなり受け入れた新婦の私は、
今にしてえらいと思う。

新婚生活が始まって、ちょっとばかし落ち着いたころ、
義父母を新居に招いた。

私がぎこちなく手料理を準備する間、
義母はせまーい、一周六歩くらいのマンションの部屋を、
ふむふむと興味深そうにひと渡り見てから、
「あら!テレビがないのネー」
といった。

いやいやお母さん、テレビありますって、
ホラ、そこの隅っこに。

義母は14インチのぼろぼろのテレビが目に入らなかったのだ。
まぁ、パソコンのモニタが当時15インチだったから、
無理もないか。

「あら!テレビがないのネー」の名セリフは今も、
せまーいマンションで「ままごと婚」していた頃の話をすると、
いつも話題にのぼる。

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お供えもののゆくえ

先日、霊園のことを書いたら、一部の読者の方から、
「お供え物の行く末はどうなってるんだろうね?」
というコメントをいただいた。
(コメントありがとう)

興味が沸いたので調べてみたら、
お供え物は供えた時点で「仏様の持ち物」なので、
その後、野良犬などの動物が食べようが、
浮浪者が食べようが「自由!」ということになり、
むしろ、それで命をつなぐ生きものがあるなら、
よいこととされているそうだ。

ただし、カラス等が散らかすので、
「持ち帰ること」と規定されている墓地もあるという。

「墓参者がほとけ様と一緒にお墓の前で食すべき」という意見もあった。

高校のとき、学校の近所の墓園で「墓参者殴打事件」というのが起こった。

なんでも、お墓参りに来たご婦人がたまたま知人に行き逢い、
お墓の前にしゃがんで話し込んでいたところ、
突然、墓石の陰から男が躍り出て、
理由もなく殴りかかって来た、というのだ。

よくよく聞いてみるとその男は付近の浮浪者で、
お腹をすかせ、お供え物を失敬しようと墓石の陰に潜んでいたのに、
おばちゃん連中がいつまでもくっちゃべって立ち去ろうとしないので、
シビレを切らしたということだった。

罪もない人にいきなり殴りかかることは別として、
お供えドロ自体は、認められていることだったんだなぁ。

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危険がいっぱい

姉は息子に、
遊び場のあちこちに潜む危険について言って聞かせるとき、
私に断りもなく、
私の過去の武勇伝を引き合いに出しているらしい。

私の足の裏には、今でも丸い黒ずみがあるが、
それは幼稚園児かなんかのとき、
廃材だらけの空き地で、
朽ちた物干し台から飛び降りたとき、
錆びた釘を踏み抜いたものだ。

同じ幼稚園か、せいぜい小学校のとき、
木の電信柱によじ登った挙句、
それ以上上がることも、
飛び降りることもできなくなって、
結局ずりずりとみじめにずり落ちたとき作ったワキの下の深い傷は、
今も、人の目の形をして残っている。

自分よりはるかにでかく、
牙をむいてウーウーうなり声を上げる真っ黒な野良犬と、
(当時はまだ野良犬なんかが居た)
ままごと用ゴザの引っ張り合いをして、
ゴザを食いちぎられたこともある。

転んで作った膝小僧の傷は数限りなく、
高校ぐらいになったとき、母は私の醜い膝頭をしげしげと眺めて、
「嫁のもらい手はないわねぇ…」と悲しそうにいった。

成人式というのは、大人の仲間入りする門出を祝うものらしいけど、
私には、「よくもまあ、20年も無事に育ったものだ」という、
びっくり儀式に思えてならない。

でも、そういう姉だって、はたきで遊んでいて転んで、
柄(え)が喉に刺さって、
喉から血を流してたじゃない。

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雑司ヶ谷霊園

大学のころ、夏目漱石を尊敬していたので、
特に親しい友達を訪ねて東京に遊びに行くたんびに、
雑司ヶ谷霊園にお参りした。

雑司ヶ谷霊園はJR池袋駅から歩いていける距離で、
都会のど真ん中にありながら、
小さい森みたいな、
墓地らしいちょっとした静けさが保たれていて、
「おお~っ!」と思うような教科書に載っている著名人やら、
よく知らないけど聞いたことある気がする名前の人々が、
あっちにもこっちにも埋葬されている。
http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/jousetsu/list.htm

それでも、私はまっしぐらに夏目大先生のお墓を目指して、
墓石の合間をずんずん進んでいった。

まだ肌寒い早春だったこともあれば、
お供えがいたみそうな真夏だったこともあり、
子供御輿(みこし)が練り歩いている秋口のこともあった。

季節を問わず、あんなに熱心に、
何回も何回もお参りしておきながら、
まんじゅうのひとつも備えなかった自分を、
今にして不遜だと思う。

墓石の前にしゃがんで、手を合わせながら、
私は漱石に向かって何を唱えていたのだろう。
尊敬している人のお墓にお参りする、
ただそれだけで大満足だったのかも知れない。

もうずーっとずっと昔のことなのに、
私自身はぜんぜん進歩してないなぁ。

あ、今行けば、みたらし団子ぐらいはお供えするかな。

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不意打ちにご用心

結婚して家を出た後もしばらく、
父が単身赴任していて実家に母ひとりだったので、
様子見がてら、ちょくちょくひとりで帰省した。

ある日、予告無しに不意に夕飯時に帰ったら、
母が上等の牛肉やら野菜、豆腐、
糸こんにゃくなんかをぐつぐつ煮込んで、
ひとりですき焼きを作っていた。

「げげっ!
自分ひとりのために、すき焼きやってんの!?」

というと母は平静を装って、

「そうよ。たまには良質の動物性タンパクを摂らないと、
ボケるのよ。
あんたも食べるでしょ?」と答えた。

また、新婚間もないころ、
休日の昼間に予定より早く帰宅したら、
夫がギクッとして、そわそわしていたことがあった。

なんとなく怪しいと思っていたが、
とにかくせまーい、
腕を伸ばしたら壁に手がつくようなマンションである、隠しごとなんか丸見えなのだ。
夕方になって事情が判明した。

夫は、私がヨメ入り道具の一部として新居に持ち込んだ大小のぬいぐるみを全部、
黒いゴミ袋に詰め込んで、
太陽に当てて虫干ししていたのだ。

ぬいぐるみに縁のなかった夫は、
もさもさしたぬいぐるみの胴体や羽毛に、
何万匹ものダニがいるんじゃないか…(泣)と思いつつ、
新婚ゆえガマンしていたんだろう。

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カノンの思い出

小さいころピアノを弾いていたので、
中学の授業でパッヘルベルのカノンを習ったとき、
チャイムが鳴るとすぐその足で職員室に行って、
「ピアノ伴奏用の楽譜をください」といった。

音楽の先生はうれしそうに目を見開いて、

「そら!来たぞ、来たぞ~!」

と大きな声でいった。

私は今でも、先生のあのギョロ目を忘れることができない。

私は他の先生も大勢居る前で、
「そら!来たぞ、来たぞ~!」などといわれるのは、
本当にいやだったけれども、
先生にしてみれば、
自分が提供したもので、
子供の中の「何か」が動くことが、
うれしくて仕方なかったのかも知れない。

あの先生は、「子供」か、または「教えること」が、
本当に好きだったのだなぁと思う。

私が教員免状を取得しておきながら、教師にならなかったのは、
そういう熱意が自分に欠けていることを、
知っていたからかも知れない。
教師は熱血であるべきだと信じていた。

中学よりもっと小さくて、
先生を立派だと信じていた頃には、
よきにつけ、悪しきにつけ先生達の影響を受けていたので、
自分がその立場(子供達に影響を与える立場)になることは、
空恐ろしくて考えられなかったのかも知れない。

今も、あのころと地続きで同じ自分なのに、
遠い昔の自分には、なぞが深まるばかり。

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ソフトクリン

ドッチ君は本人によると、
本当の名前をアンソニー・デ・ドッチといって、
(途中に「フランソワ」とかも入っていたような気もするが)
ヨーロッパ圏の誰も知らない小国の王子様だそうだ。

当時、外国の王子様がなぜ、日本の一地方都市の学生に身をやつして、
授業の合間にアメリカンフットボールやサッカーをして遊んだり、
生協でバイトしていたかは知らない。
本当はスパイ活動とか、その他重要なミッションを帯びていて、
学生というのはカムフラージュだったのかも知れない。

クラブには代々、「文句は多いがよく働く」という人がいて、
ドッチ君もその系統を受け継ぎ、
彼の××寮という名前のお城が、
大学のほんのそばにあったことも災いして、
公私を問わず、
しょっちゅういろんな場面で先輩からお呼びがかかった。

ドッチ君はもともと、起きているあいだじゅう、
絶え間なく冗談をいっている人で、
まあ、ギャグがポロシャツを着て歩いているような感じだったが、
一度だけプチギレしたことがあった。

「なぜ決まった人間だけがいつも雑務に借り出されるのか」
という議題で、話し合っていたときだったと思う。
(なぜかクラブでは部員のことを、
わざわざ「ニンゲン」といっていた…)

先輩と後輩が対峙し、
散らかって足の踏み場もない部室に不穏な空気が流れ、
皆が押し黙ったとき、ドッチ君が口を開いた。

「やっぱ、一日出かけるとなると、バイトも休まないといけないしぃ、
金がかからないといっても、
サービスエリアに入ったら、なんか食うじゃないですか。
じゃがべー*とかソフトクリン代も、何回もとなると、
バカにならないんですよ!」

*じゃがべー:高速道路のサービスエリアに売っている、
じゃがいもとベーコンを串に刺して焼いた食べ物。おいしい。

王子様は真剣にクラブのあり方について改善を訴えていた。

結局、話し合いがどのように決着したか、
忘れてしまった。

でもその後も相変わらずしょっちゅうお呼びがかかって、
文句をいいながらもよく働き、
ソフトクリンにバイト代をつぎ込んでいたように思う。

だって先輩にかわいがられていたんだから、
仕方ないよね。

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仕掛け

大学のとき、試験の前一ヶ月を切ると、
「テストの旅」に出ていた。

「テストの旅」というのは、
音楽を聴いたり、
漫画を読むとか、
シリーズ物のドラマを見るとかいう、
自分にとっての娯楽を、ひとわたり断つことだ。

試験といっても毎年出る問題が決まっているものは、
正門前に突如出現するノート屋のノートを暗記するだけだし、
「死刑制度について思うところを述べよ」とか、
「商業広告の効果について、身近な例を挙げよ」とか、
漠然とした問題の場合は、
問題文が一行ちょろりと書いてある以外は、
A3用紙は残りひろびろと余白なのである。
だから、何も思いつかなければ、
ただ座ってペンをくるくる回しているか、
その単位は捨ててさっさと席を立つしかない。

そんな試験群だから、気合を入れるほどのこともないけど、
わざわざテストの旅に出るのは、
数週間にわたる試験期間が終わったあとで、
「やったー!♪」という気分を盛り上げるための「仕掛け」である。

一方、クラブの合宿は一週間、田舎家で合宿だった。

見渡す限り、男女を問わずひざの出たジャージに、
泥だらけの靴姿の人たちばかり。
私は合宿所の錆びた風呂釜に浸かりながら、
帰ったら、
シャバに戻ったら、
ひらひらのスカートをはきたいと思っていた。
ひらひらのスカートをはき、
爪にはピンクのマニキュアをほどこし、
ハイヒールでコツコツ歩くんだと思っていた。

ただしそれらは、クラブ活動に不要だっただけで、
自主的に断(た)っていた訳じゃないから、
合宿が終わってサブキャップが「解散!」と宣言したあと、
「やったー!」という気分を盛り上げるための「仕掛け」ではない。

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ラジオで大晦日

その年の大晦日、イシカワ君は郵便局でアルバイトをしていた。
年賀状の見張り番である。

おびただしい数の年賀状とともに、ただ年を越すだけの簡単な仕事。

その辺に寝っころがって本を読んでいてもいいし、
マンガをパラパラしていても、鼻歌を歌っていても、
とにかく寝さえしなければよかったそうだ。

何をするのも自由だったが、
それでもやっぱり、だんだん退屈になってくる。

イシカワ君はラジオをつけた。
NHKに合わせると、紅白歌合戦の真っ最中だ。

誰かの歌が終わって司会者が、
「ハイ、ここで中国雑技団のみなさんの登場でーす」といった。

イシカワ君はにわかに色めき立ってラジオに耳を澄ます。

音楽が流れてショーが始まった。

「わーっ、すごいですねー!すごいすごい、お見事!」

司会者の声に混じって、観客席のどよめきが聞こえてくる。

平均台
輪っかくぐり
ボールを使ってのアクロバット…

イシカワ君はイメージを膨らませて、少年少女が見せる妙技を思い浮かべていた。

---

年が明けてまもなく、クラブの連中と集まったとき、紅白歌合戦の話になった。

イシカワ君が残念そうに、
「オレ、あの時バイトしてたからな~、テレビがなくて残念やったわー、
見たかったわぁ、雑技団」という。
「見た?どうやった?すごかった?面白かった?」と目を輝かせて続ける。

私とクボ君はそれぞれ、床に目を落として黙っていた。
二人とも、テレビで見ていたからだ。

やがて、クボ君が目を合わせないまま、
申し訳なさそうな、気の毒そうな、それでいて可笑しくてたまらないような調子で応じた。

「イシカワぁ~、あのなー、実はあれ、…犬やったぞ」

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「イシ××、先に行く」

その日、私達は朝早く、
大学に近くて全員が集まりやすく、車で出発しやすい中くらいの駅に集合した。

本来の部活動ではなく、義務みたいな、めんどくさいだけの仕事だった。

冬の早朝に無理やり起きたので、みんな誰ともクチをききたくない。
まだシャッターが降りたファストフード屋の前で、
三々五々集まっても挨拶する程度、
それぞれ腕組みしたまま、下を向いて不機嫌にうろうろしていた。

早く出発したいのに、イシ××君がまだだった。
もう、彼の赤い車がとっくに着いていてもいいはずなのだ。

携帯電話もない昔である。
今どこでどうしているか確かめようもない。
家にかけるしかないが、まさかまだ寝ていることはないだろう。

これ以上待てば出発が遅れる、出発が遅れれば帰宅も遅れる。
冬の日は短いのだ。

誰かが「置いていこう」といった。
誰からも異議はなかった。

ドッチ君がペンを取り出して大学ノートの切れ端に、
「イシ××、先に行く」と書いた。
さて、この紙切れをどうするのか。

結局、四角い郵便ポストほどもある特大のゴミ箱の天板に、
テープもないので、ありあわせのバンドエイドで貼り付けた。
「イシ××、先に行く」

数十分後、イシ××君が赤い車であたふたと駆けつけたとき、
悪いことに高校生の一団がたむろしていたそうである。
いつものゴミ箱付近に、誰も居ない。
ふと見ると、バンドエイドで貼り付けた紙切れが、はためいている。

「イシ××、先に行く」

”そうか、置いて行かれたか”

そう思って紙切れを剥ぎ取った途端、高校生の一団からどっと歓声が起こった。

「おーう、こいつがイシ××らしいぞ!」

そんな彼も、今や3児の父。

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