旅の思い出

黒潮

天気がよかったので、
思い立って和歌山マリーナシティに行った。

マリーナシティは、海南市という、
和歌山でも大阪に近い場所にあって、
私達は車だけど、
電車ででも難波から1時間半もあれば着いてしまう。
紀伊水道を望む和歌浦湾に面してこぢんまり、
テーマパークだの、黒潮市場だの、
温泉だのがあるところ。

黒潮市場では運がよければマグロの解体ショーが見れ、
運に関係なく、
マグロやサザエ、ホタテや活きた海老など、
好きな食材を買い求めて、
その場でバーベQできる「海床」があって、
全身すす臭くなりながら、満腹になれる。

泊まったホテルは全室オーシャンビュー、
目の前がヨットハーバーになっていて、
林立するマスト越しの水平線にオレンジ色の夕日の沈む様子が、
部屋のバルコニーからでも、浴室からでも、
金曜ロードショーのオープニングみたいに、
ドラマティックに見えるのである。

今日も秋らしいいいお天気だった。

黒潮とはよくいったもので、
和歌山の海は本当に黒い。
魚がいっぱいいそうな深~い青で、
ひろびろした気持ちになれる。

帰りは高速道路を使わずに、海沿いの下道を、
寄り道しいしい帰ったのに、
お昼過ぎに帰り着け、
昨日出発してからまる1日しか経ってないのに、
なんだか充実の土日だった。
Photo ロイヤルパインズホテル

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シエナの鳩

イタリアを旅したとき、
訪れたのはローマやフィレンツェ、ベネチアやミラノといった、
メジャーな都市ばかりだったけれど、
それらを押さえて一番気に入ったのが、シエナだった。

シエナはその昔、
今のイタリアの経済の中心地として栄えた、
トスカーナ地方の中世の都市で、
世界遺産にも登録されている。

塔のある小高い丘に向かって、
レンガ色の屋根がびっしり続いていて、
屋根と屋根が触れ合うほど狭い石畳の路地が、
ゆっくりカーブしながら蜘蛛の巣上につながっている、
絵になるようなこぢんまりした街なのである。

バスから降り立ったときちょうどお昼時だったか、
丘の上から、
「カーン♪…カーン♪…」と鐘の音が流れてきた。

カンポ広場で深呼吸し、塔に登って見下ろすと、
街の向こうには、ずーっと地平線まで、
一面のひまわり畑か、はたまた葡萄畑か、
濃い緑色のなだらかな丘陵地が続いていた。

よく見るとレンガ色の屋根に、
ぽつぽつとごま塩がふってあって、
あ!飛んだ!
あ~、鳩か。
それは昔、鎌倉の鶴岡八幡宮で見た、
鳩サブレのモデルのような白い鳩と、同じようでいて、
ちょっと違う。

なんか、のんびりしているのである。

日本の鳩がせわしないかどうかは別として、
あー、こんな緑いっぱいで時々鐘が鳴り、
観光客がぶらぶら歩いているような小都市の鳩は、
たぶん寿命も長そう。

平和な光景だった。

Photo  アクティビティマーケットプレイス

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立っていた人たち

ロサンゼルスの思い出のひとつは、
澄んだ青い空と焼きたてのワッフル、
そして、「立っていた人たち」である。

滞在したホテルがダウンタウンのはずれにあって、
一番近い地下鉄の駅へ行くには必ず、
ヒスパニック系の人たちが多く住む地域を抜けるのだ。

ちょっと歩くと、田舎のスーパーみたいのがあって、
ミネラルウオーターやチップスなどが売られていた。
もう少し行くと、
ショーウィンドウ一面にレコードジャケットが貼ってあり、
何語かわからない音楽が流れているレコード屋があった。
通りの向こうには、塀いっぱいに、
あらゆる色合いのスプレーで落書きされた、
心拍数が上がっちゃうような学校があって、
そして、それらの建物の合い間合い間に、
人々が立っていた。

その人たちは、集まっておしゃべりするわけでもなく、
ぽつん、ぽつんと塀にもたれ、腕組みをして、
ただ立って、道行く人を見ている。
浮浪者という感じではないから、
住むところはあるに違いないのに、
歩道に出て塀にもたれ、何をするでもなく、
ただぼんやりと立っていた。

日本のお盆の時期だったけど、
アメリカはお盆ではないから、
仕事がなかったことは想像できるけど、
それにしてもなぜ、
家にいないで通りで立っているんだろう。

彼らの前を通り過ぎながら、
私の頭の中では、ぐるぐる「はてな」が渦巻いていた。

ハリウッドのにぎわい、
ビバリーヒルズの大豪邸、
ロデオドライブの楚々としたたたずまい、
そして、ごみごみした街角に、ただ立っている人たち。

大都会ってこういうことなんだなぁと思った。

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「撮ってもらえますか」

ローマのコロッセオに登ったとき、
見知らぬ日本人のおばさん連中に、

「写真、撮ってもらえますか?」

と頼んだら、マダム風のひとりが、
おほほと笑って、「向こうに立ってみて」といった。

「だ~めだめ!
並んで立つんじゃなくて、
二人はちょっと離れて、間をあけて斜めに立つの。
手前を開いてね、
そうそう、間からコロッセオが見えるように、
ね、それでオーケー」

おかげさまで、奥行きの深~い、
よい写真が撮れた。

モルディブで、水上コテージへ行く桟橋を歩いていたら、
向こうから、白目と歯ばかり真っ白の従業員が、
歌うようにやってくる。

「写真、撮ってもらえますか?」

と英語でいうと、ちっちゃな彼はにっこり笑い、
夫にぴったり寄り添って腕をからめ、
とびっきりの笑顔でポーズを取った。

いや、あの、
「撮らせて」じゃなくて、「撮って…」

ひきつった笑顔の夫と、
満面の笑みのモルディブ人の写真が残っている。

最寄の駅から歩いて、
ハリウッドのメインストリートに向かう時、
はるか向こうの乾いた山の上に、
お馴染みの「HOLLEYWOOD」の文字が見えた。

デジカメの精一杯のズームで四苦八苦して撮っていたら、

「写真、撮ってもらえますか?」

ともいわないのに、
韓国人らしいカップルがやってきて、
男性の方が、身振りで撮ってあげようという。

撮る時も、撮ってくれたあとも、
カメラを返すときも笑顔だった。

でも、その写真っていうのが……。

私達は絶句した。
どっちが上かわからない。

バランス感覚ない人って、いるんだなぁ…、
とそのとき初めて思った。

みなさん、どうもありがとう。

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旅のおみやげ

ヴェネチアのドゥカーレ宮殿前で解散したとき、
現地ガイドの藤枝さんが、

「時間があればぜひ、サンマルコ広場でお茶してください。
きっと、人生が変わります」

といった。

えへー、人生が?

大げさだなー、と思ったけれど、
いいつけ通りサンマルコ広場でお茶した。

広場で、うわーっと舞い降りてきたイタリア国籍の鳩に、
頭や肩に、遠慮無しに乗っかられて、
髪の毛をむしられそうになっている場面の写真が残っている。

帰国したあと不思議なことに、
私は強い衝動に駆られて、
明るい色合いで上品なレースがついている、
ほかではちょっと見かけないような、
キャミソールとフレアパンツ(女性用下着です)を買った。

あの衝動はなんだったのだろう。

イタリアは、
「人に見せない部分のお洒落心を刺激する」、
そんな国なのかなと思った。

また、カナダの一人旅から戻ったときは、
どういうわけか、家具が欲しくなった。

シンプルで、それでいて機能的な、
すっきりした白木の家具が。

ほとんど衝動だった。

「暮らしをきちんと見直そう」、
カナダって、
地に足着いた態度を刺激する、
そういう国なのかなと思った。

旅は自分の中に、その土地土地のお土産を残す。

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long long way…♪

モルディブに行ったとき、
アイランドホッピングに参加した。

水上ボートでマーレ(国際空港があるメインの島)に移動後、
ヘリポートに向かう。
ヘリポートといったって、ただの、まあるい草地なんだけど。

日差しがさんさんと降り注ぐ中で、
スウィングバードというヘリコプターのプロペラが回転速度を上げると、
辺り中の空気を吹き飛ばし、
呼吸もできない大風が巻き起こった。

ヘリに乗り込んで上空から、
澄んだ青色の海の上に、
点々と浮かぶ小さな島々を見下ろしながら飛ぶこと20分、
ちょっと大き目の別の島に降り立つ。

島民の日常をわき目に、徒歩で桟橋まで移動し、
またスピードボートに乗り継いで、沖合いの島に行くのだ。

アイランドホッピング、アイランドホッピング。

沖合いの島は、浅瀬に囲まれていた。
私達は水着になって、深さが大人の背丈で腰から胸くらいの海の中を、
向こう岸まで「歩いて」渡る。

無人島に向かうのだ。

見下ろすと文句なしに透明な水の中に、
自分の寸詰まりの足が見えていた。

参加者は、私達のような東アジア人か西洋人。
みんなでざぶざぶ渡っていたら、
たったひとりでそのツアーに参加していた西洋人の中年女性が、

「long long way…♪」と高らかに歌い始めた。

long long way
long long way…♪

それが、実に楽しそうなのだ。
みんな黙って泳ぐか、カップルは小声で話しているのに、
そんなことはお構いなし。

long long way
long long way…♪

無人島に着いて、即席のカマドで焼いた魚を、
塩・コショウ、にんにくと唐辛子、
たっぷりのオリーブオイルで調理して、
ビールと一緒にもぐもぐ食べる。

海からの風が吹いて、水着のまんまで食べる焼き立ての魚は、
ごくシンプルなのにとてもおいしい。

食事のあとで、寄せては返す波の音を聞いた。
白い砂浜をせっせと渡っていくヤドカリを捕まえて、
long wayのご婦人と写真を撮った。

以来我が家では時々、
まぐろかかつおのお刺身を買ってきて、
オリーブオイルに、にんにくのみじん切りと唐辛子、塩・コショウを入れて煮立て、
上からかけていただく。

名づけて「まぐろのカルパッチョ・無人島風」
(市販のパスタ用ペペロンチーニソースでもよいです)

Cocoa_photo アイランズコレクション

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オーストラリア大陸

オーストラリアは冗談みたいに広かった。

飛行機で大陸を横断するとき、
幸い窓際の席だったので、
鼻の下を伸ばしてちょくちょく下を見下ろしてみたが、
ジェット機の速度で移動しても、
風景がぜんぜん変わらない。

いつみても、
草地か森か、ごくまれに一軒家なのである。

草地、森、ごくまれに一軒家、
草地、森、ごくまれに一軒家、
その繰り返しなのである。

アジアの小国から一人旅して来た若い娘(注:当時)は、
なんにも障害がないそのどでかい大地に圧倒され、
ダイブしたい衝動に駆られた。

ダイブしたって、誰も助けに来てくれないどころか、
気づく人さえいないのだ。

シドニーからさらに一時間ほど国内線を飛んで、
目的地へ行くのに陸路はタクシーを使う。
着くまでの数十分、タクシーの運転手さんと、
カタコトの英語で家族の話などする。

両側が森の、広いまっすぐな道路の真ん中に、
動かない、大きな物体が横たわっていて、
私がぎょっとしていると、
おじさんは「カンガルーだよ」と肩をすくめた。

「車にはねられたのさ」

そう珍しいことでもないらしい。

着いて、これからお世話になる家の人に、
「ここまでいくらかかった?」と聞かれた。

「50ドル」と答えると、「50ドル!」と目を丸くする。

「えらいぼったくられたね~」

いいおじさんだと思ってたのに、
いいカモなのは私のほうだったのだ。

滞在したところはほんの小さな郊外の町で、
日本食の店などもちろんなく、
チャイニーズレストランも一軒しかない。
しかも、どのメニューを頼んでも、脂っこいおんなじ味。

お世話になった日本人の人は社長さんなので、
「ここの人はみんな仕事が続かなくてね~」と嘆いていた。

「コロコロ、すぐ人が変わる。
町の若者をぜんぶ合わせても数十人しかいないのに、
その調子で彼氏彼女もコロコロ替えるから、
いってやったんだよ、
一巡しちゃわない?って。はは」

どでかい大地といっても悠然とはほど遠い、
住んでいるのは飽きっぽい人たちらしかった。

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ぶた泣き

義理の両親と義理の弟、それに私の4人で、
鹿児島・知覧に行ったことがある。
(なぜ夫がいなかったのだろう?たぶん仕事かなんかだ)

知覧といえば「武家屋敷」だが、
知覧といえば、「特攻平和会館」なのである。

小さい博物館みたいなところの中央に、
機体にでっかい日の丸を描いた実物大のゼロ戦(零式戦闘機)がでーんと据え付けてあって、
ぐるりの壁に、実際に特攻隊員として出陣した学徒の写真が、
氏名、年齢とともに、ずらーっと並べてある。

館内には休みなく、当時のラジオ放送とか、
戦闘機のプロペラ音とかが流れていて、
見学者は否応(いやおう)無しに戦時中に連れ込まれるのだ。

軍服を着て真面目に収まった証明写真もあるが、
彼らの日常を捉えたスナップ写真に、胸が詰まった。

軍人というと、いかついマッチョな人たちを想像するけれども、
白黒写真で捕らえられた実際の彼らは、
細っこい、小さい少年達なのである。

宿舎に紛れ込んだ子犬を大勢で取り囲んでいる一枚が残っていて、
うれしそうにわいわい騒いでいるらしい様子は、
そのへんの中学生くらいに見えるのである。

この子達が、人を殺せるとはとても思えないのである。

出陣の前に皆で寄せ書きした日章旗も展示されていた。

「お国のために立派に死んで参ります」

「天皇陛下万歳!」

勇ましい寄せ書きを記したほとんどの子達が、
一番最後には「おかあさん」と叫んだらしい。

最年長でも23歳、
私なんかが無為に生きているより、この子達が生きているほうが、
よっぽど世の中のためになったろうにと思うと、
涙が滝のようにぼーぼー流れて来た。
しゃくりあげて、あんなにぶた泣きしたのは、
私だけではないと思う。

罪もない人々が死ななければならない戦争には、
正当化しうる主義主張など、
ひとつもない。

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上高地・乗鞍

うちのマンションからはちょっとした山系が見えている。

雨上がりの、まだ地面がぬれているような時にいきなり陽が射すと、
山肌からは、お風呂上りみたいにぽっぽと霧が立ちのぼって、
陽が射したところは神々(こうごう)しく黄緑色に輝いているし、
まるで信州かどっかみたいなのである。

「ほら!上高地!上高地!」

と私がいうと、

「おおー、ほんとだ、上高地だ」

と、夫は上高地に行ったこともないのに同意する。

私は上高地から乗鞍へ行ったことがある。
昔、まだ学生の頃に、親友のカオリンさんと行った。

行き着く途中でものすごい雨になり、
既に山深いバス停で、
さらに高高度へ登るためのバスを待っていたとき、
中国・桂林みたいな風景の中で、私達はただ、ぼーぜんと佇んでいた。

やっと来たバスは、
一歩間違えばまっさかさまに谷底、というギリギリの道幅に沿って、
ひどいぬかるみの中を、ウンウン登っていくのである。

誰もいない山の上でおろされた。

ユースホステル初体験の私達はやれやれ、
「バス停に着きました」と電話すると、
オーナーはあっさりと、
「そこから20分くらいですから、歩いてきてください」という。

「えっ、歩くの……?」

カオリンさんはお嬢様なので、げんなりしているが、
私は一般庶民の娘なので、
「行こう、行こう」といってずんずん登っていく。

ユースホステルというのは、とってもお安く泊まれる分、
食事の後片付けとか、ベッドメイキングとかも、
自分達でしないといけないのである。

夕食後、食堂で円陣になって、
その日たまたま同宿した一期一会の人たちと、談話などするのである。
近くにスーパー林道があるので、
長い髪を三つ編みにした年齢不詳の女性ライダーとか、
むっつり不機嫌そうな大学生とかが泊まっていた。

翌朝晴れたので建物の外に出てみたが、やっぱりぐるりと山しかなかった。

私は、「おお、大自然!」と結構感激なのだけど、
カオリンさんは心もとなそうな、
早く下界に下りたそうな感じなのである。

カオリンさんは遠く山々を見ながら、

「私さぁ、こういう何もない、寂しいところでも、退屈しない人と結婚したいんだ」

カオリンさんは果たして、起きている間中しゃべっている
にぎやかな男性と結婚した。Photo_2

Photo 上高地OfficialWebSiteより)

Photo

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サンタモニカ空港

ロサンゼルス郊外のサンタモニカに行ったとき、
夫が飛行機を見たいというので、
タクシーを駆ってサンタモニカ空港に赴いた。

サンタモニカ空港は、人通りの多い街の中心から、
タクシーで数十分、住宅地近くにあり、
ビジネスジェットやプライベート用の小型機のみが離発着する、
小さな空港である。

関係者以外は入れないので、
赤外線センサーで、開いたり閉じたりする自動ゲートの合間から、
セスナやその他の小型機を見学したあと、
ふと気付けば、
行きはよいよい、帰りの足がどこにもないのである。

車社会のアメリカには、流しタクシーなどいないのだ。

タクシー乗り場はもちろん、空港の駐車場には、車がびっしり停まっているのに、
人影がまるでなかった。

空港事務所の人たちを巻き込んでタクシー会社に電話をかけ、
迎えに来てくれるのを待つ間、
陽が傾いてくる駐車場の植え込みに立っていたら、
道路のほうから、門を通って、
ぴかぴか光る黒いリムジンが、すーっと静かにすべりこんできた。

初老の運転手がくちを真一文字に結んで私の手前で右折し、
ものすごく長い車体の側面が目の前を通りすぎるとき、
後席の向こう側の窓に足が見えた。

サンダルを履いた、白い小さい足である。足だけである。

乗っている人は頭をこちら側にした姿勢で、
後部シートに長々と寝そべり、
社長さんがデスクの上で脚を組むみたいに、
長さがはみ出た足を窓枠に乗せて、足首のところで交差させている。

こんな風に自動車のシートに座る人を初めて見た。
「座る」っていうか……。

あっけにとられていると、
リムジンはするーっと駐車場を横切って、
空港奥のほうへ消えた。

ほどなく、さっきのリムジンが出てきたとき、
ひとりで降りてきた運転手は、燕尾服みたいのを着ていた。

ハリウッドスターか、ビバリーヒルズのお嬢だったのかもと思う。
少なくとも、「お行儀」という概念はなかったと思う。

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カナディアンロッキー

カナダ西部のバンフを訪れたのは、ある年のお盆休みだった。

バンクーバーからエアカナダを乗り継いでカルガリーで降り立ち、
空港ゲートを抜けるとすぐ、
翌日のカナディアンロッキーツアーに申し込んだ。

宿泊地バンフはウィスラーやジャスパーと並んでスキーリゾートとして有名な分、
夏は一大避暑地になっている。
空気が澄んでひんやりし、
見上げるほど立派な木の合間に、
大きなログハウスやコテージが、太い道を挟んでずらーっと並び、
観光客で埋め尽くされた街にも、おしゃれな教会がひっそり佇んでいた。

翌朝早起きしてバスに乗り込み、
時速100キロ以上で飛ばして、一路、より高高度な山岳地帯を目指す。

太い、まっすぐな道路が山の合間を突っ切っていて、
両側に3メートルもありそうなフェンスが続いている。
地下も2メートルくらい掘って電気が通っているそうだ。
それは、野生動物が道路に迷い込んで交通事故に遭わないようにするためで、
地下深く掘るのはモグラ対策用。

あくまで自然の一部を、
「ちょっと通らせてくださいね」という姿勢なのだ。

カナディアンロッキーの湖はどれも、「冗談でしょ」ってほど、
ため息が出るほどの透明度。
むしろ「不自然」なほどのエメラルドグリーン、スカイブルーをしている。
それは、氷河が溶け出した氷河湖だからなのだ。

圧倒的な大きさで迫ってくる切り立った山々、
真夏のコロンビア大氷原、レイクルイーズ、
たった一日なのに、本当に贅沢なツアーだった。

地球のでっかさを感じ、
深呼吸して全身の酸素を入れ替え、
心を広々とさせたい人には是非オススメ。
Castle2001a

写真: CANADA Sightseeing Navigatorより

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いろんなところで昼寝をした

昔、フランスへ行ったとき、
凱旋門の上から、放射線状に広がるパリの街並みが見下ろせた。
凱旋門はただの街の飾りではなくて、
ちゃんとした展望台にもなっているのだ。

「放射線状」といいいながら私は放射線を見たことがないが、
とにかく、今自分がいるところを中心として、
あっち方向にも、
こっち方向にも、
そっち方向にも、
街に切れ目が入っていて、いやぁ、それはもう壮観なのである。(パリの凱旋門

いろんな国からきた観光客が、
いろんな国の言語で、小声でおしゃべりする中で、
「壮観だなあ♪」と思いつつ、
眠くなったので、私は体育座りをして、凱旋門の上で昼寝をした。

イタリア・ミラノのドゥオモには、
日本の寺院の参道にあるようなのとそっくりの、
針金を何本も突っ立てた蝋燭(ろうそく)立てがあって、
訪れた人々が蝋燭に火をともして捧げた炎が、
太い石造りの柱の影で、ちらちらちらちらしていた。

天井が高く、薄暗くて、よどんだ琥珀色の空気、
祭壇に向かってずらーっと並んだ長椅子のひとつに座って、
人々のざわめきを聞いていたら、
眠くなったので、
私はあの荘厳な建物の中で昼寝をした。

目覚めてもまだ旅の途中、というのは、とてもいいものだ。
「ここはどこ?私はだれ?」を地で行く。

私はたぶんまた、行った先々で、不遜にも昼寝をする。

(※同行した夫はずっと起きてましたんでご心配なく…)

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ずっと風が吹いていた

ニューカレドニアに行ったのは、
ある年の暮れからお正月にかけてだった。

寒い日本から十数時間かけて太平洋上を飛び、
急に暑い国に入ったからだろうか、
夫は着くなり蒼い顔をしてダウンした。
目を、鳴門かまぼこの柄みたいにぐるぐるにして、
バスの後席に沈み込んでいた彼を忘れることができない。

次の日はあたたかな雨だった。
雨上がりの浜辺に出て、悠々と飛び交うカモメを見ながら、
でかいハンバーガーをほおばった。
沖からぬるい風が吹いていた。

3日目くらいに自転車を2台借りて、
ダウンタウンまででかけた。
ブーゲンビリアがはみ出たフェンスのそばを抜けて、
きつい勾配の坂道を下る時、
レモン湾(シトロン湾)から強い風が吹き付けていた。

大晦日の晩にフロントが、
「明日、エスカパード島へ行きますか?」という。
ニューカレ近くの離島として、
イル・デ・パン、リフー島、マレ、ウベアは有名だが、
エスカパードは知らないのである。
「ほんの小さな島です。
そこに姉妹ホテルがあって、料金はそのままで泊まることができます」

私達は翌日、荷物を部屋に残し、
水着とシュノーケル、最低限の身の回りのものだけを抱えて、
いそいそとでかけた。

強い日差しの中、小さな桟橋でボートを降り、
レストラン脇の更衣室でさっそく水着に着替え、
ウェルカムドリンクをもらうのに一時間近くかかった。
従業員はみなのんびりしていて、あまり仕事熱心ではない。

ホテルは目の前が明るい青色に澄んだ海、
水平線がぐるりと続いていた。
横の浜辺で本土から来たらしいフランス人の女性がふたり、
トドのように裏返しに横たわって、微動だにしなかった。
ニューカレドニアはフランス共和国の一部なので、
公用語もフランス語だし、
西洋人の観光客というと圧倒的にフランス人が多いのである。

プールで泳いでいると金髪のチビが、
「ジャポネ!ジャポネ!」といっているのが聞こえた。
フランス語がわからないと思ってるんでしょうけど、
ジャポネが日本人だってことくらい、知ってるんだぞ、と思っていた。

夕方、水平線がピンクから赤黒く染まっていく中で、
一周30分ほどの島をぐるっと回るとき、
毛が束になって、ゴミがいっぱいくっついた、
黒い犬がずっとついてきた。
犬はまるで島を案内するようにちょっと先を行き、
振り返って私達を待ち、追いつくとまた歩き出す。
ちょと先を行き、振り返って私達を待ち、
追いつくとまた歩き出すのだ。
沖の方から絶え間なく風が吹いていた。
犬は、島を一周してレストランの前に戻ったあと、
一仕事終えたように、桟橋のたもとに横になった。

夕食のとき、椰子の木のたもとに据えたテーブルに通された。
強い風が吹いて、椰子の葉がざわざわしていた。
生まれて初めて食べた鹿肉は、歯ごたえが強く、
カスカスしていて、でもなんだかおいしい。
食事の間じゅう、私は時々、恐る恐る頭上の木を見上げた。
落ちてきた椰子の実が脳天を打ち砕いて死んだ人の話を聞いたばかりだったのだ。
強い風にざわめく葉の合間から、星が見えていた。

翌日また海に出て、水上ボートで遊んだ。

島の真ん中に小高い丘があって、登ると木の陰に思いがけなく墓石があった。
墓はたったひとつ、
はるかな水平線を見渡す場所に、ひっそりと建っていた。
派手なピンクの造花が乗せてあった。
私は、大学のとき習ったカタコトのフランス語を駆使して、
墓碑銘を読んだ。
「この島をこよなく愛した××××、ここに眠る」

沖から、ずっと風が吹いていた。
http://www.newcaledonia.jp/info/basic/index.html

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